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2018年07月30日02:06

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大いなる眠りに入る

 死んだあと、どこへ埋められようと、当人の知ったことではない。きたない溜桶の中だろうと、高い丘の上の大理石の塔の中だろうと、当人は気づかない。君は死んでしまった。大いなる眠りをむさぼっているのだ。そんなことでわずらわされるわけがない。油でも水でも、君にとっては空気や風と同じことだ。君はただ大いなる眠りをむさぼるのだ。どうして死に、どこにたおれたか、などという下賎なことは気にかけずに眠るのだ。が、私はどうだ。下賎な存在の一部みたいなものだ。ラスティ・リーガン以上に下賎な存在だ。が、老人がそうなってはいけない。彼は、天蓋つきのベッドに静かに横たわり、血の気のない手をシーツの上にのせて、待っているのだ。彼の心臓は弱い。不確かな音をたてている。思考は遺骨のように灰色だ。そしてもうじき、ラスティ・リーガンと同じように、大いなる眠りに入るのだ。


――亡くなった叔母の葬儀の準備などをしながら、なんとなく脳裏に浮かんでいたのは、レイモンド・チャンドラーの『大いなる眠り』というタイトル。

ラストに、そのタイトルの説明と思われる一節が出てくるのですが、それが気になって、ホコリだらけの文庫本を探し出しました。ストーリーはほとんど忘れていますが、ラストのこの部分だけは、なんとなく今も記憶に残っていました。創元推理文庫の古い訳なので、現行の文庫本とは違うのかもしれませんが、特に古さは感じません。

胸に刺さるのは、「どうして死に、どこにたおれたか、などという下賎なこと」という部分。

「下賎」を調べると、英語では、low とか humble になるようですが、humbleの訳語には「些末な」という意味もあるようです。

死んでしまえば、生きている人間が感じるこだわり、価値、感情などは、すべて無になる。とはいえ、「どうして死に、どこにたおれたか」を気にしないで生きるのは、たぶん不可能。だいたい、ボクがこの数日間にやっていたことなんて、死ぬ人間から見れは無意味なことなのかもしれないわけで……。

しかし、そう感じながらも、人間は、そうした下賎ないしは些末なことに執着しながら生きていくしかないのかな……なんて思ってしまいます。

ただ、せめて、死を目前にした老人には、そんな思いをさせたくない――というのが、主人公であるフィリップ・マーロウの結論なのかな。

なるほど。

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