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2018年07月29日21:28

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名作の弊害

キンプリ、特番で“ジブリのうた”歌う 案内役は神木隆之介
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=5221404


 アニメや映画だけでなく誰かが創作した作品というものは誰かの過去に他ならないという事実がある。

 目の前に広がる時空を誰かの意識が切り取って意識の選別を通過した順番に並べて何かしらの作品に仕立て上げる。絵画や音楽、映画や小説、テレビ番組や教科書、どんなものでも作品というものは情報の一種であり情報は誰かの過去である。

 心に強烈な印象を残すいわゆる、名作、は、広く民衆の心を打つものになるけれども、打たれた者が長い間に亘ってその作品に共振してしまうことは、実は誰かの過去に閉じ込められることにも等しい。目の前に横たわる常に自由な現実はいつでもここでその人なりに切り取ってかまわない世界なのに、いつしかそのことを忘れて、知っているもの覚えたもの好きな作品やよくできた概念を基準にモノを語るようになる。そうなればなるほど世の中は本来の未来としての現実的な輝きと広さと可能性を失う。

 名作になればなるほど人の心を魅了するから出会った人は幽閉されているということさえわからないまま作品に浸り続ける。

 情報化社会なのでたくさんの情報があふれている。いいものを探したり勉強に励んだりすればするほど誰かの過去に閉じ込められるということを片一方で知っておかないと、未知の世界を自分の目で見る大切な力が曇ってしまう。結果人生において本当の輝きを失うことにもなり得る。現代はおそらくほとんどの人がこの罠にいいようにはまり、よくできた作品の影響下でものを判断してただの消費者として社会人になり規範や常識を辿るようにして誰かの過去を生きていく。気の利いたことをしゃべったつもりでも誰かの過去を並び替えただけのような知識と自意識の檻に閉じ込められている。このことは解り難いかもしれないけれど、現代をうっすらと覆う忌々しい閉塞感の一因となっている気もする。

 これがいいんだと思って子供にそれを見せる聴かせるという親は多いと思うが、人の意識にとっては、いいもの、ほどよくできた檻だということはあるような気がするのだ。
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