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2018年07月25日08:26

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なぜ社会科は民主主義を具現化しているのか、その2。

今は生活科にかわったが、社会科は、大雑把に言えば、小学校低学年(家族・学校・地域)、中学年(市・町・県)、高学年(国・世界)になる。自分を中心(出発点)として同心円状に拡大していく。つまり自分=個人がまずあって、その拡大した延長上に世界があるのだ。

この考え方の対極にあるのは、まず国家があってそれを小さく縮小していき、最後に自分(個人)に到達するものだ。つまり戦前の学校教育(国史・地理・修身)なのだ。

アメリカの考え方、まず自分(個人)があって、それをとりまく社会がある、というのは、今の日本国憲法では「個人の尊重」という形で書かれている。憲法の基本原則である。これがわからない、というかわかろうとしない政治家が多い。

中学・高校でも社会科の基本理念は個人の尊重である。基本的人権も平和主義も個人の尊重をベースにしている。だからこの理念を社会科のそれぞれの科目でどう取り上げて行くか、が求められる。

だが、この自分(個人)から同心円状に拡大していくということは、ある時点でつまづく。いつ社会科嫌い(不得意)になったのかを聞くと、だいたいは小学校4年から5年である。

自分と関係のないこと(拡大した地理や歴史)を学ぶ時に想像力と理解力が必要なのだが、うまく対応できないと、自分と関係ない=わからん、で終わって、後はひたすら暗記だからつまらん、ということになる。

アメリカのトランプ(唯我独尊)的体質は、この壁を越えないままになった見本と言える。

これをどうクリアーするかは小学校社会科の専門になるので、難しい。いずれ整理ができれば書きたいが・・。

日本国憲法第2章第九条を守ろう!

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