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2018年07月19日21:27

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明治37年の神戸市地図(2)

 地図の該当箇所は1枚目の画像の通りです。
 道路の上に町名が書いてあります。南北の道が、東から、東町、伊藤町、江戸町、京町、浪花町、播磨町、明石町とあり、東西の道が、北から、北町、仲町、前町、海岸通とあります。

 なお、地図の左下にメリケン波止場があります。「米利堅波止場」という表記の傍らに「AMERICAN HATOBA」とあります。波止場が英語ではなくて「HATOBA」ですね。もう「メリケン波止場」という語が固有名詞として定着していたのでしょうかね。
 いや、もしかしたら「波止場」って本来は英語で、それに漢字を当てたのかと思って日国を引いてみましたが、そういうことはないようでした。(^_^)

 ご参考までに、2枚目が現代の地図です。南の方はカットしました。
 文字が小さくなってしまいましたが、今も、京町、江戸町、浪花町、播磨町、伊藤町などの町名はそのまま残っています。明治の地図で東にある園遊地も、現在、東遊園地公園となっています。

 明治の地図には、ところどころに四角で囲った中に漢数字の入っているところがあります。何番がどんな施設なのかは別に掲げられています。3枚目の画像です。
 この一覧表には町名も記載されています。これを見ると、東西の道に従うもの、南北の道に従うもの、両様あって、法則性が読み取れませんでした。

 京町は五番の「印度オーストリヤ支那銀行」のみでした。現代の地図では、この位置は日本銀行になっています。コーベ・ヘラルドもこのあたりにあったのでしょう。

 神戸の古い地図を見るのは初めてでしたので、あれこれ興味深く、楽しく見ました。(^_^)

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