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2018年07月18日23:57

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てぃーの / もけもけ

てぃーの / もけもけ

書き表すべき男性が存在しないからと言って、書き手の本人をこうしてまとめ上げるのもなんだか妙な話であるが、人材不足のため止むなし投稿といった所。取り敢えずにも強引に暁8番目投稿に穴埋め的に自らを登場させるアホな本人。今の俺は今の俺は約束を守るぜ! とか、きっと相手がどう答えて良いか考え込んでしまうだろう言葉を言い切ってからのスタート。そして相手は『8番目だからどうした?』という思いでいっぱいになる予想を立てつつもスタート。 

という事で、俺本人。

ひとまずはたいして頭は良くなく、常に思い付きというよりもアドリブで24時間を消化する癖を持つ。勉強は大嫌い。

全てがアドリブなので、次の瞬間には行った物事を忘れている事も多いが、後に嘘つき呼ばわりされるのも気が引けるため、行った行動を忘れたのち、思い返して記憶するという妙に器用な芸当を持つが、周囲にはきっと理解されていないだろうと思われる。

先を見ない行動方針のためか、転職は多い。その結果、奇抜な出逢いが多く、創作さながらの人生を歩むが、夢が創作関連なので『ネタにいいや!』などと思いつつも、時間に阻まれ肝心の創作までなかなか手が伸びない。記憶だけが無限に広がる。

こうしてミクシィ日記を手掛けるのに毎日約1〜2時間を消費しており、そんな物書く暇があるなら自分の原稿を進めろ! なんて自問自答するも、やっぱりシナリオ自体が頭の中で進行を続けるためか、変な満足感に満たされており、エクセルやワードは開くものの、どうしてかリアルタイムのミクシィ日記を優先させてしまう愚か者。固定読者は今やわずか一名。それでも満足。きっと時間の大切さを知らないままに朽ち果てていく運命かとも思われる。…が、頑張る気持ちだけは毎日持ち続けている。しかし『頑張り』という活用の仕方というものをきっと理解していない所が非常にネック。


孤独が嫌いな性格だが、孤独を好むといった矛盾を持ち合わせる。いつでも誰かと接していたいと内心で叫び続けるが、相手と笑えば笑う程、別れ際の寂しさが上昇する事を知っているため、結局我慢の毎日を送る事になる。それでも会いたい。でも、別れは怖い。
それ故に出逢いを拒む傾向にあるが、実際には人間好きの性格を隠せる筈も無く、こちらからはほとんど近付かないものの、逆に近付かれればあっさり呑まれ、これまでの社会経験が幸運な方面に災いし、気付けば意気投合していることもしばしば。
それで余計な辛い思いを引っ下げる別れの登場に恐れおののいている。

鳴らない電話は既に日常化し、金のかかる時計同然の見方が強まる。
そんな電話が着信を受けると、喜びや驚きの前にまず目と耳を疑う。
大半は仕事の関係。そして変な悩み相談や占いが少々。『遊ぼうよ!』なんて内容は今や皆無。あぁ、羽根をのばしたい。なんて思いをいつも持つが、それでもこちらからのアクションはほぼゼロ。よほどの事態でないと動かない。でも、そんな事態に遊びは含まれない。そんな性格だけは相変わらず。


動物的本能のサガか、それとも男だからか、はたまた俺個人の問題か、基本エロい。どこまでもエロい。しかし、奥手というか本音を言う事が出来ず、『絶対待ってたろ? シチュエーション』を見送る事数知れず。いや…、男女互いにやりたがりの20代の頃の話だが。

具体的一例は俺の部屋に泊まりに来た女の子と同じ布団に入りながら、『絶対手を出さないで下さいよ!』という言葉を安易に鵜呑みにし、本当にそのまま寝てしまって次の朝に無言の怒りを買うハメになるほど奥手であり、そして相手に忠実な哀れな存在だ。こうなると『本能』すら自分に備わっているのかが疑わしくなる。

ああ、タイムスリップで今の知識のまま20年前に戻れるのであれば、きっと俺は『可能な相手』をむしゃぶりつくしているんだろうなぁ…。なんて思うも、全てが後の祭りであり、手遅れだ。

故に、すき屋時代、あれだけ女の子に囲まれながらも手を出す事が全く出来ず、幾つかのそういった『もしかして待ってる? シチュエーション』の全ても可憐なるスルーを決め込んでしまった。こうなると本能の欠損どころか動物として失格である。

そんな訳で、関係を持った異性とのそもそものきっかけは全て相手からの行動に委ねられ、されるがままに事に進展するといった内容ばかりで、もはや自分自身の性別の区別すら分からなくなっている、そういった趣向というか、傾向の持ち主だ。

とにかくエロい割には行動できない。話す割には行動できない。『はい、手を出して下さい』と言われない限り行動できない。シャイな訳じゃない。それだけ自分に自信が無いという話だ。


そんな俺でも唯一、自分に正直なところがある。

それは俺を慕ってくれる仲間がピンチに陥った際、体を張って守り抜こうとする意識が芽生え、可能な限り完遂させようと努力する事だ。

高校時代のある時、仲間から電話があった。携帯電話なんか無かった時代、仲間は公衆電話から助けを求めてきた。

俺は自宅でとある映画のクライマックスシーンを眺めていた訳だが、そんな電話を耳にして放って置くわけにもいかず、本当は別の仲間と合流した方が良いと思いつつも、電話をする時間が惜しく、すぐさまスクーターにまたがり、2つ隣の町まで歩を進める。

途中、今は無き秘密の場所に緊急時の使用として隠してあった角材やら鉄パイプやらを数本手に、電話で伝えられた『逃げる場所』のポイントに向かう。

慣れない街並みで捜索が難航すると思いきや、不意に声が聞こえたような気がしてスクーターを隠し、目に付いた駐車場へ忍び寄る。

ほとんど影しか見えない姿は4人分。仲間は3人に追われていた筈なので、3:1と配置取る形は囲まれた仲間を連想した。

救いは誰も倒れていなかった事であり、交戦状態でも無い。恐らくは時間稼ぎ、ケンカ前の口論といったところか。

俺はフェンス向こう側の反対側の敷地から歩を進めた。余分な武器を捨て、鉄パイプ一本だけを右手に掴んだ。

近付くと水銀灯の強い光が仲間を照らしている事が分かった。間違いない。
間違いないのだが…、何故か仲間を囲む3人と穏やかな感じで話しているようだ。抗争の気配が全く感じられない。しかし、さっきの電話の緊迫感は本物だった。

仲間の意図も対する3人の意図もさっぱり読めないが、一応、不意打ちを含めた突撃案を変更し、音を立ててフェンスを上る事でこちらの存在を気付かせる事にした。その後は相手の反応を窺って行動する。

ガチャガチャと音を立てて上る俺に、当然4人が気付く。

すると仲間のほうが、
『おー来た。アイツだよ!』
…とか何とか。
そして3人組が、
『あーん? ああ、ほんとだ。やる気満々だね』
とか何とか。

話がどう進んだのかは判らないが、3人のうち1人が昔の連れだったらしく、それをきっかけに和解していたらしい。…で、俺が来た時には笑い話に発展しており、散開する言葉もあったが俺の存在を思い出した仲間が『あぶねー奴見せてやる』と言い放ったのをきっかけに俺の登場を待っていたとか。

俺………バカみたいじゃん。

パイプで仲間に『あぶね奴じゃねーよ』と背中を軽くひっぱたき、ついでに3人に対しても『やるなら真面目にやれ』とそれぞれ背中を軽くひっぱたいてやった。こちらは死ぬ気で助けに来たと言うのに。映画のクライマックスシーン返せ!

まあそんな訳で、俺を慕う仲間は見捨てないという…信念でもないが、気付けば行動している自分は確かに居る。

分かる人には分かる話なのか、物騒な身分の人からはよく『お前は命捨てる覚悟が出来てるな?』みたいな事を言われるのだが、正確には間違いだ。命を捨てる覚悟がある訳ではなく、行動した末に命を落とす可能性がある。といった方が正解だろう。

そんな自分は嫌いじゃない。でも決して好きでもない。他人のために見返りも無い苦労をわざわざ背負い込む性分ではない。基本的には平和主義なのだ。

でも、接点が多かろうと少なかろうと、相手は何の勘違いか俺を見込む場合が往々にしてある。俺が個人的に許せない場合もある。

そんな時、気付けば行動していた…という話だ。助けたい。それ以外に理由なんてない。
………無駄死に確定な我が人生。『非業の死の暗示』とは、どの占い結果にも出てくる言葉だ。


過去のワンシーンがあまりにも多過ぎる。これは今現在や未来に対して歩を進める事を恐れている自分が存在するという証拠だと思う。

人生の終焉が怖いとは思った事が無い。しかし、空っぽの今現在は毎日怖い。

人にガンバレと励ますワリに、自分自身がまるで頑張ろうとしない。

相談事には自分の意思を含ませたくないので、これまでの出来事や話を総合的に中和させる事で出来上がる中性的な回答を得意としている。すなわち、述べたように自分の意思は全く含まれず、偏りのない正解に近い回答が出来るだけの話だ。そんな話を耳にして人は喜んでくれるようだが、むしろそんな励ましで喜ばれる事に自分が驚いてしまう。何せ、言っている本人が理解できないでいるのだ。

知識としての唯一の武器は、普通とは異なる家族構成と、普通とは異なる恋愛、そして尋常じゃない転職回数の果てに出逢うこととなった無数の友人知人とそれに見合った会話の数だけだ。俺の中に含まれる知識はむなしい程に低いパーセンテージがあるのみだ。
どの経験も浅く、低い。故にそこかしこで行き詰まる。

そういった時の回復法は、過去のワンシーンだ。

無音の光景が多い。黄色がかった地平線の見える芝生の大地に、大空が雲を従え、見えない風に揺らいでいる。そんな光景がやたらと多い。たまに風に揺られる菜の花が思い浮かぶ時は至福の瞬間だ。底知れぬ安心感と、現実逃避に成功をしたと確信する自分が居る。

願わくば、そんな光景の中央で死にたい。大好きな誰かに膝枕でもされながら。

どうしてそんなイメージが思い浮かぶかは俺にも分からない。でも、迷うと今でも必ず思い浮かんでくる不思議な光景だ。いつの時でも現実から逃げだしたいと考えているいい証拠だろうと自分なりに分析して早数十年。

たまにその光景の中をはしゃいで走る人影がある。大体は女性だ。無邪気で、声を出す事が無く、それでもなんとなく声が分かる。

やっぱり自分が逃げ出したい理想の場所なんだろうと毎回考える。死んだ先がそんな世界ならどれだけ救われるだろうとも考える。

出てくる女性はきっと俺の中の理想の人なんだろうとも思う。知り合いも何回か出てきた覚えがあるが、実はそれが毎回知り合いなのか、それとも後から足した創造なのか、全てはおぼろげで覚えられない。それでも優しい世界だ。


絵を描くのが好きだった。油絵がとにかく好きだった。

気まぐれな線から始まる最終的な絵は、描き始めた自分でもその最終形態が分からない。

もちろん、何かを書こうと思って描くものもあったが、考えて描く絵は好きになれなかった。答えが出てしまっている。

現実はつまらない。理想があるからこそ生きる意味合いが多少ながらも生まれると考える。だからこそ想像の赴くままのでたらめなアートは自分のココロを十分に満たす何かがあった。

完成したキャンバスは全て破って壊した。生まれ育った家を追われる身となったあの日、種から始まった自分の成長が全て否定された気になった。生まれ育った家は大好きだった。どこがと尋ねられればきっと答えられない。それでも自分たち家族の安住の記憶が詰まった空間には変わらなかった。

描いた時間を捨て、完成した自然の自分の全てを無に帰した。

涙があふれた。生まれて来た事を呪った。

それでも中途半端に残った油絵の備品が、過去の遺品に成り変って天井裏に鎮座している。恐らくは二度と日の目を見る事が無いと理解しながら。


感謝する事はある。数少ないがあるにはある。なかなか類を見ない暗い人生かもしれない。それでも色々と『見る喜び』とはあるものだ。

見えない事には何も感じる事が出来ない。盲目の人生はそれだけで地獄だろう。そんな見えない世界を生きる人たちは強靭な心を持っていると本当に思う。こんな俺で勝てる訳がない。

俺はそんな人たちよりは恵まれている。確かに恵まれている。そんな人たちからすれば、俺の気ごころなんて心底から憎まれる事だう。しかし、それでも恵まれている。

見て、感じて、近付き、手にし、考える…。

単に『見る』という行為から無限の可能性を生み出す現実はどこまでも素晴らしい。

感謝と言えばもう一つ。

俺と妹2人を捨てた両親を憎む事すら思い浮かばせる余裕も無いまま、穏やかな表面の裏で必死だった自分が居た。生まれてきた事に対する後悔なんてものを考える余裕も無いまま、気付けば成人していた。

普通では見る事の出来ない世界なのかもしれない。同じ地球に立つ同じ人類でも、きっと俺の視野は少数派に含まれる視野なのだろう。

誰も理解してくれなくてもいい。それでも貴重な視野と信じたい。

そんな視野を持つに至らしめた、妙な感謝だ。
そんな、一つの人生を歩むのが、俺というだけの話なのだろうけど。


星空が好きで、晴れた深夜のドライブをよく行っていた。別に歌謡曲に表現されるようなドラマチックな想いは無い。なんだか夜空に吸い込まれそうな感覚が好きで、そして降り出しそうな星々の幻想的なイメージが好きで、それだけのために暗い田舎道を走り回っていた。

人を誘う事も少なくなった。とはいえ、どうにも男性方面は夜空観察に面白みが無いという回答が多く、結果的に女性方面と共にする行動が圧倒的に多かった。

女性との会話は男性との会話に無い面白みが多い。男性の俺だから知り得ない話がそれぞれの口から漏れ出し、女性同士では言い合えないような本音じみた話をよく聞かされた。

なんでも星空の下だと素直になれるらしいといった、同意見を複数の人から聞いた。

そんな結果、『ぜったい秘密』や『てぃーのだけに言うよ』という話だけでも莫大な数になった。宇宙の星の数なんてバカげた数は言わない。それでも一か所を直視した視野の星の数ほどは聞いただろうか。大小の星が存在するかのように、秘密の話にも大小があった。

理由なんてないが、地球も宇宙の一部であり、人間も広大な宇宙の一部なんだな、なんて考えさせられた。壮大なんて言葉じゃ表現できない大きな宇宙。それに比べて埃ほどの大きさにも満たない自分。考えるなんて野暮だ。悩むなんて贅沢だ。

そんな事を思って小さく笑う。一人の時だと草木が聞かぬふりをした。誰かが居れば『どうしたの?』と尋ねられた。その質問に答える事は無かった。答えそのものが無いのだから。

冬の田舎の星空は圧巻だ。こんな明りだらけの日本にも自然があると思える錯覚すら覚える。もっとも、世界の自然を知らないが故の小さな視野を自慢とする俺自身の感想だが。

また誰かと星空のドライブがしたい。氷結を思わせる寒空の下で、誰かと一緒に笑いたい。缶コーヒーでも片手に持ちながら。

そう考え続けて何年経つ事か。


てぃーのの視野

思った事を思ったように言える人って素晴らしいと思う。
どんなにわがままであっても素晴らしいと思う。
意思表示は自分を知らせる意味でとても重要だ。
我慢をする人はとても損をすると思う。
そうした我慢の先に待つものは、きっと何もないと思う。
だから物事を正直に言える人って凄いと思う。
自分の生きる為の道筋をせっせと作っている証なのだから。

俺は物事を素直に言える人ではなかった。
とても嘘つきで、自分のしたい事すらまともに言えず、
自分の望みすら正直に言えなかった。
自分の道はせっせと作った。
それでも言うに言えない性格が、結果的に多くの答えを聞き出す事は出来なかった。
聞かないんだもの。答えなんて返ってくる訳が無い。
言わないんだもの。誰かが振り返る筈も無い。

友達は風じゃない。
友達は星じゃない。
必ず人間だ。
そんなこと分かっている。
でも、矛盾した怖がりが人を招けない。
そして矛盾した怖がりが離れ行く人を引き寄せられない。
あの時に一声かけられれば…。
今、この瞬間に声をかけられれば…。
相手の気持ちは探る事が出来る。
目を見れば本当の言葉が溢れている。
それでも自信が持てない。
99%の喜びよりも、1%悲しみを重視してしまう自分。

そんな結果の、今現在の自分。

そして胸を張って明言できる事。
それは
『俺に出逢った人のほとんどは、確かに俺よりも恵まれている』
という事だ。

そんな事をにこやかに表現できる自分だけは、少し好きだ。


あ〜…本っ当、やり直したい。(笑)

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