豪雨情報とサッカー中継を待ちながら見ていた再放送の
NHK songs「宇多田ヒカルの言葉」
番組レポではなくて、内容にインスパイヤされた彼女の歌への思いをつづる日記。
誕生日が同じ女性アーティスト。
数十年違うけど、1月19日生まれ同士。
それは後付けの理由だったろう。
鼻腔が印象的で、息をのむ透明感。ゴリラかチンパンジーか、みたいな変な格好のMVが気になったから、でもない。
島根の田舎で高校教師をしていた頃、実家の山形との休みの度の往復でよる渋谷と大阪のCDショップ。最初に知ったのはその店頭だったと思う。衝撃的な15才でのデビューと同時に、大々的に山積み展開されてたCD。日本的ファーストだけじゃなくて、一緒に積まれてたインディーズ時代、というの2枚も買って島根に持ち帰った。
買い続けてるCDほとんど手放してない自分には珍しいが、ハマりまくったからこそ、当時一番尊敬してた同僚の先生に貸して、そのまま手元には残っていない。
自分なりにはまった理由を考えると
切れ字
である。
NHKだからこそ、文字で歌詞をどんどん書いていて、しかも正統アナウンサーの朗読で読み上げると、異様にそれが際だつ。
七回目のベル
を、
な・なかいめのベ・ルでじゅわき
なんて彼女でなければ誰が歌えただろう。当時はアメリカンネイティブだからこその日本語の句読点無視、って思って聞いていたが、改めて字面で見ると、漢字もけっこう難しいのを使ってたりして、本の虫だった、ということも納得してしまう内容。
ヒットするポップス論、みたいなのに、フック、引っかけを作る、というのがあるが、歌詞であったりメロであったり、フックがあると印象が残ってヒットのきっかけになるらしい。僕に宇多田が引っかかったのはまさにフックとしての切れ字で、そこに僕が引っかかっていた。
番組で取り上げてたのは、母親のわがままに振り回されてアジア人たった一人のニューヨークに飛び込まされる少女の宇多田。それは
孤独
で示していたが、孤独が彼女の歌世界だとしたら、なぜ、それが多くの共感を得てヒットにつながるのか。ベルが鳴って受話器を取る、なんて全く知らない現代の二十歳前後の若者にも引っかけになってハマっていく人がいる。時代を色濃く反映してる言葉なんて、ともすると、今にあわないからこれは書き換えなきゃ、なんて思ってしまう大人たちがいる一方、すんなり今の若者に刺さる世界観になってるのだ。
彼女独自のモノなのに多くが共感を持つこと
多くにとって知らない世界だからこそ共感を持たれる
はじめの方で、小説家、漫画家になりたかった。
小説にハマっていく自分、は、知らない世界だからこそハマっていく。もちろん、よく知った世界だからこそハマる小説もあるんだけど、同時に、未知の世界をそこで体験して新しいモノが開けるからこそ小説にハマる。
彼女の描く世界、止まない通り雨、を指摘した小田和正にいきなり、通り雨の瞬間に私が死ねば通り雨だって永遠ですよね、て答えてしまう。時空を軽々と飛び越えられるからこそ、小説家、漫画家的に新しい世界を聞き手に示せる、シンガー「ソングライター」なのだった。
ちとニューアルバム、久々に買ってみようか。明日目覚めたら銀行に行って金をおろして、買ってきましょう(^_^)。
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