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2018年07月06日11:39

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宗教学を学ぶ法学部出身者として…

■オウム松本死刑囚の刑執行=地下鉄サリンから23年−元幹部6人も、教団事件で初
(時事通信社 - 07月06日 09:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5187685

ついに「Xデー」がやってきましたね。

麻原死刑囚が教団内の施設で身柄を確保された時、私は法学部を目指し予備校に通っておりました。当時は施設内から薬品等が入ったドラム缶等が数多く押収されいる様子をはじめとする「オウム関連の報道」が連日「洪水のごとく」メディアに取り上げられておりました。

私の「心に響いた言葉」をあげるならば二つあります。

一つは瀬戸内寂聴さんの「オウム真理教は、戦後、日本が50年かけてできた、巨大なガン細胞である」

奇しくも、この事件は日本が「戦後50年」をむかえた年におきました。
戦後、焼け野原だけが広がる中、人々は「物質的な豊かさ」を追求し、走り続け、高度成長期、バブル期を経て「物質的な豊かさ」を手にしました。
そして、気づいみれば「心の豊かさ」の象徴である「宗教」をなえがしろにして「置き忘れてたきた状態」となりました。その「宗教をなえがしろにして、置き忘れてたツケ」としてこの「オウム真理教による一連の事件」という「悲劇」おきました。

そして、もう一つの言葉は地下鉄サリン事件における遺族の方の言葉として「麻原死刑囚の死刑が執行されも、それは通過点に過ぎない」

そう、死刑が執行されてもそれは、この事件に関わった人々にとって「通過点」であり「終止符」でないのです。

残酷、凄惨な事件がおきると、その猟奇性が取り上げられることが多いですが「重要課題」その「現場の猟奇性」よりも「そのような事件を生み出した社会」に目を向けることが大切です。

この「オウム真理教事件」から「受取った社会への課題」を真摯に一人一人が受けとめることが「悲劇の再発防止」となるのではないのでしょうか。


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