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2018年07月01日12:26

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職業の選び方――何者になるのかが問題だ。

 今から13年前の2005年秋、僕は労働問題の研究者になってやろうと「無謀にも」考えた。その頃は「フリーターが日本をダメにする」「仕事が長続きしない、自分探しをする若者を心理的になんとかせにゃならぬ」といった自己責任論が幅を利かせていた時代だ。 そんな時代に、当事者の立場から一石を投じたかった。「学歴」や「ブランド」なんぞ、どうでもよかったのである。
 ただ、僕の人生の「徒弟/下積み時代」を送る場所が。たまたま「大学院」だっただけなのだ。

 しかし、かような時代だから、僕の周りの組合関係者ですら!「無謀なことを止めて、ともかく、就職しなさい」「ブキッチョな人間ほど、製造業や職人に向くというよ。職人になりなよ!」という恐るべきアドバイスをおくってきた。
 今から考えると、彼らから見た「合理的」なアドバイスだったと思う。しかし、当時の僕が「無理やり」就社していたとしても、僕が原因で「会社を壊していた」と思う。というのも、僕が就職できるような会社は零細企業である可能性が高いからだ。現に、僕がアルバイトをしていた警備会社では4人の「不真面目な警備員」のために「神戸支社」が潰れている…。

 また、僕が所属していた労働組合は、統計処理などの数式や数学を用いた学派と仲がよかった。したがって、僕が「フィールドワーク等の方法で、研究します」と云っても、相手にされずに「アンタ、正気か?」「あきらめろ!」「なんなら、労組の専従になるか?」と云われたのは当然のことかもしれない。
 もっとも、東日本大震災以降、ウチの労組もフィールドワーク等の「質的研究」に理解を示しだすのだが…。

 ともあれ、彼らが善意から、そのようなアドバイスをおくってきたものだから、僕としては「口汚く」反論したくなかった。なので、僕は「お茶を濁す」という現実的なリアクションを彼らに返した。 ただし、人前でブチ切れたこともあった(もっとも、そんなことをしてよいのは、全人生においても数回くらいだと思うよ…)。

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 だが、「人生の問題の解決策は、その人生を生きる本人しか提示できない」というのが、僕の持論だ。したがって僕は、頑なに自らの持論に従って、自分なりに大学院進学の準備を進めていった。
 かような現状を、僕は母校の恩師(英文学がご専門)に開陳した。すると、「就職しろ!」とは云わずに、意外な答えが返ってきた。
 
 「何歳で、就職するのかが問題ではない。何になるのかが問題なのだ。」

 結局、当時の僕は、この言葉のとおりに大学院を受験するが、この時(2005年秋)は、あえなく失敗!しかも、失業時の段取りの悪さから「日雇い派遣」で生活した結果、空前の生活苦に陥ることになる。
 しかし、この時の経験が図らずも「派遣・請負等の間接雇用」という研究テーマを齎し、論文のネタに困らなくなるものだから、人生わからないものだ…。
 結局、僕が大学院へと進学できたのは約4年後の2009年春のことだった。労組において3年間にわたって「反貧困運動」にかかわったことが「社会経験」と見なされ、社会人入試の受験資格を満たしてしまったことにより、入学が可能になったのである。人生、ますますわからないものだ。

 40歳を少し超えた今、僕は資料収集と論文執筆の毎日を送っている。ストレートで進学した院生さんとは異なり、自らの経験に基づいて「帰納法で考える」ことができるトコロが、今の僕の強みだろうね。労使関係が研究テーマならば、特にそうだと思う。

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