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2018年06月30日22:02

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母親との永遠の別れ

6/28(木)から兄の実家の熊本に来ています。私事ですが、6/27(水)母が永眠しました。85歳でした。
5年ほど前から体が弱り施設に入っていましたが、6/27午後に容態が急変し3時間ほどで帰らぬ人になってしまいました。

亡くなる前日の6/26(火)夜に実家の兄から電話があり、容態が悪くなってきたので年末まで持つかどうか、、、との連絡を受け、8月のお盆休みを使って5年ぶりに母に会いに行く予定にしていました。しかし妻が、何があるか分からないので少しでも早く行った方が良い、との事で7/4(水)にお見舞いに行く事にし、日帰りの航空券を予約していました。

その翌日6/27(水)午後3時頃兄から電話があり、容態が急変し危篤状態になったとの事。一時心臓停止しがたAEDや心臓マッサージで何とか蘇生したが、明日まで持つかどうか、、、との連絡がきた事を受け、急遽熊本行きの航空券を、翌日の6/28(木)に切り替えて駆け付ける事にしました。しかし、午後5時25分ごろに再び兄から電話があり、母は私の到着を待つこと無く5時21分に息を引き取ったとの事でした。

私は母の住む熊本から遠く離れた千葉に住んでいますので、残念ながら母親の最期をみとる事はできませんでした。お通夜、告別式も無事終了し、気持ちの整理も少づつでき落ち着いてきましたので、本日報告させて頂きました。


私は3人兄弟でしたが、年の離れた末っ子という事や、父親が私が生まれて8カ月で病気で他界した事などもあり、母親にとっては私の存在が生きる希望になっていたとの話を、親戚の方々から良く聞かされていました。3兄弟の中でも特に母親の愛情を一身に受けて育てられたように感じています。

詳しくは書きませんが、私は世話の焼ける息子で、母親には多大なお世話をかけながら学生生活を送り、やっと人並みの生活を送る事が出来るまでになりましたが、これも全て母親のおかげだという気持ちでいっぱいです。

私が生まれて8カ月で父が病死した後も、小学校の教諭を続けながら女手一つで私たち息子を大学まで進学させてくれて育て上げてくれました。いくら感謝しても感謝しきれない気持ちです。ここまで育ててくれて本当に「ありがとうございました!」

今となっては、私が高校1年生の時に母親が買ってくれた河野ギターが形見となってしまいました。これからも大切に使って行きたいと思います。


久しぶりに会う母親の顔をそっと撫でてみると、冷たくなっていましたが穏やかな表情をしていました。これからは、やすらかに天国から私たちを見守って下さい。
私を生んでくれて、育ててくれて、ありがとうございました。いつまでも感謝しています。さようなら、お母さん。


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