mixiユーザー(id:3775167)

2018年06月28日23:12

42 view

無謬 卑怯 悪辣

■「しつけ」の名で虐待 専門家「どの家でも起こりうる」
(朝日新聞デジタル - 06月27日 19:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5174905

イヌやネコを、暴力で従わせる人を、褒めたたえる人はいない。
しかし、これがヒトとなると、肯定する人がいる。

たとえば、独裁や恐怖政治による「人民の従順さ」を見るがよい。
それは「自らの意志」の結果でなく、「暴力への恐怖」による「恭順の姿勢」であろう。
恐怖、屈辱、無力感、絶望。
暴力の肯定は、独裁への渇望でもある。

また、彼らは、自らの無謬性を塵ほども疑わず、子供という囚人を見張る看守でもある。
彼らは「自分が暴力を振るわれたら」と想像することもない。
なんとなれば、「常に自分は正しい」のだから。

かつてを振り返る。
自らの被った暴力のことを。
頬を張られた時、投げ技をかけられた時、壁に頭を叩きつけられた時・・・・。

「ああ、ありがたい。自分はこの痛みによって初めて自分の過ちに気づけた」

暴力を肯いたがる者どもは、このように感じるべきだというのだ。

そして、むろん彼らは、たとえばこの自分が、「彼らの思想性の矯正」のために、彼らに「体罰」を
ふるったところで、それを肯うはずもないのだ。
 

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年06月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

最近の日記

もっと見る