mixiユーザー(id:38378433)

2018年06月27日09:11

300 view

ゲームのキャラではなく、伝説の勢至菩薩、本物の勢至丸、法然も知っておきたい

「なむあみだ仏っ!」イベント「知恵を授かる十三詣〜虚空蔵求聞持法〜」を開催!!
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=120&from=diary&id=5066127

●【ゲームのキャラではなく、ゲームのキャラではなく、伝説の勢至菩薩、本物の勢至丸、法然も知っておきたい】

https://hobbytimes.jp/article/20180328ta.html
*−−−−−−−引用開始−−−−−−−−−*
仏像勢至菩薩(せいしぼさつ)の役割とは?!地獄にあり
2017-02-06

仏にはその悟りの度合いによって4つのランクがあります。そのヒエラルヒー最上位に属するのが如来で、その下に菩薩、明王、天部と続きます。 この中で菩薩は、みずから解脱のための修行をする傍ら、衆生(私たち)を救う活動もしているというありがたい仏です。


1.勢至菩薩とは

今回取りあえげる勢至菩薩は、サンスクリット語では摩鉢羅鉢多(Mahasthama-prapta)マハースターマプラープタと読むケースが多いですが、長いので新編・仏像図鑑での名前をとってマハラハタとしておきましょう。午年生まれの人の守り神でもあります。
勢至菩薩は阿弥陀三尊として祀られることがほとんどで、観音とともに脇侍を勤めます。大精進菩薩とか大勢至菩薩の別名があります。 仏の智恵の光を持って、衆生が無知により地獄界・餓鬼界に落ちないように救う仕事をしています。
大勢至という言葉にはなじみがないと思いますが(広辞苑にも収録されていません)、「大勢」の衆生から苦を取り除く道に「至」らせるという意味です。 その力は大変強いもので、足のひと踏みでこの世からあの世まで、果ては大魔王の宮殿さえも揺るがすというとんでも力です。16文キックとかのレベルではありません、菩薩の中では一番の武闘派なのかもしれません。
智恵を標榜する仏はいくつかあるのですが、勢至菩薩の知恵は、文殊菩薩の釈迦の知恵、虚空蔵菩薩の記憶の知恵とは異なり、人を救う強さの知恵を表していると言われます。より私たちに身近な仏と言っていいでしょう。子供が悪いことをすると叱ってくれる近所の声(と足)の大きい面倒見のいいおじさん、そんな立ち位置が似合います。 それにしては、知名度も造られる仏像も少ないという不憫な仏です。阿弥陀三尊の相方である観音菩薩が大ブレイクしているだけに、その身の不遇をかこつ勢至菩薩さんです。

2.仏容

仏容とは仏像の容姿のことです。菩薩は古代インドの貴人の姿を現していますので、なかなかにオシャレでエロい服装をしています。如来が仏陀の出家した後の沙門を現すのに対して、菩薩は出家前の王子(貴族)の状態で表されるからです。
勢至菩薩は、瓔珞(ようらく)という首飾り、手首には腕釧(わんせん)というブレスレット、上腕部には臂釧(ひせん)という腕輪を装着し、条帛(じょうはく)というたすきのようなものを掛けています。その上に薄い天衣を羽織ってハスの上に立ち合掌印を作ります。その当時のインドの女性には是非お会いしたものですが。

煩悩は横に置いて置くとして、この仏像を見分ける一番の方法は、その頭に乗せた水瓶(すいびょう)を確認することです。
法瓶とも言います。これは比丘(出家者)が持たなければならない18種の持ち物のひとつです。
その水は、本尊を供養するための水が入っているとも、甘露の宝水を貯えているとも言われています。勤行の前などに身を清めるのに使う聖水という説もありますが定かではありません。水瓶はお茶を入れる道具でもありますので、これでこっそりお茶を入れて飲んでいたのかもしれません。勤行後ティータイムみたいに。
ちなみに陀羅尼集経第二には、勢至菩薩についてこんな不思議な記述があります。「勢至菩薩は結跏趺坐し、左手は掌を左太ももの上に乗せ、右手は手首を反らして右太ももの上に曲げ、腕を立てて上に向け、親指を薬指の裏に捻り、人差し指・中指・小指を伸ばし左手の側面に当てる」。なんで不思議な形でしょう。

3.こんなところに勢至菩薩が

あまり日の目を見ない勢至菩薩ですが、意外なところで活躍しています。それは地獄です。
日本の地獄は十六小地獄。全部合わせて272もあるんですよ。この世の行い気をつけて。というぐらい楽しい地獄ですが、そこには裁判官がたくさんいます。
現世でした悪業の数々を調べて判決を下す裁判官は、閻魔大王だけと思っている人が多いようですが、実際には全部で10人います。ひとくくりにして10大王と言います。閻魔大王はそのひとりで5番目(35日目)の裁判を受け持ちます。
人間は死後7日後に裁判を受けます(初七日)。本人が正直に申告すればそれで裁判は終わる(転生する)のですが、言い訳ばかりが多くてなかなか本当のことは言いません。それで多くの場合は次の裁判官に引き渡されるのです。そして7日ごとに裁判を受け、7回目(四十九日)にようやく結審します。ほとんどの人はここで転生が決まります。法要の中で一番大切な日です。これが終われば忌明けということになります。
しかし罪状や本人の再審請求などによって、その後さらに100日、1年、3年と裁判が続く場合もあります。裁判官を一覧にしてみましょう。

7日目 初七日 ⇒秦広王(不動明王)
14日目 二七日 ⇒初江王(釈迦如来)
21日目 三七日 ⇒宋帝王(文殊菩薩)
28日目 四七日 ⇒五官王(普賢菩薩)
35日目 五七日 ⇒閻魔王(地蔵菩薩)
42日目 六七日 ⇒変成王(弥勒菩薩)
49日目 四十九日⇒泰山王(薬師如来)

100日目     ⇒平等王(観世音菩薩)(ここからは再審制度)
1年目  一周忌 ⇒都市王(勢至菩薩)
3年目  三回忌 ⇒五道転輪王(阿弥陀如来)

この一覧を見ますと、法事という行事の意味がわかってくると思います。故人の法要でお供えをしたりお経を上げたり回向をしたりするのは、裁判官への印象操作および賄賂です。
言い切ってしまうと身もふたもありませんが、遺族がこれだけ大切に思っている人なのだから、罪を軽くしてあげてくださいね、という遺族からの情状酌量要請です。決してお寺が丸儲けするために増やしたイベントではありませんよ?
閻魔大王は元々ヒンドゥー教の神で、冥界の主でしたが仏教に取り込まれることで天部となり、地蔵菩薩の化身とされました。その割には5番目の裁判を任されているだけで、あまり重要なポジションとは言えないようです。お地蔵さんの化身だけに優しすぎるのかもしれませんね。

ところで肝心の勢至菩薩ですが、1年目の裁判でやっと登場します。再審査というのは基本地獄行きが決まった人を、なんとか助けようとすることが目的です。亡者の苦を救うためにその叡智の光でもって改心を迫るのですが、どうしようもないと判断されれば、都市王が司る大焦熱地獄行きとなります。本当におめでとうございます。 ちなみに、再審査の仏は、観音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来と、見事に阿弥陀三尊そろい踏みです。

この地獄については、いったいいつどこから来た概念であるのか、実ははっきりしていません。5番目の閻魔大王は仏教を、7番目の泰山王は道教を代表する仏です。道仏混交概念って感じでしょうか。いろいろ混ざった結果にできた組織ということでしょうか。中国で成立したというのだけは確かなようです。
ちなみに、仏教でも道教でも、裁判官の名前も順番も全く同じであり、密接な関係があることがうかがえます。取り合って争いを起こすよりは、共同統治しようという大人の智恵かもしれませんね。

4.勢至菩薩は法然?!

法然という人は浄土宗の開祖で、浄土真宗を立てた親鸞のお師匠さんです。実は偶然にもこの法然の幼名が「勢至丸」でした。その法然が「南無阿弥陀仏」を唱えさえすれば極楽往生できると説いたのですから、これは偶然を通り越えて運命よね? と思っても仕方のないことでしょう。しかし、その流れで弟子の親鸞まで、観音菩薩にされてしまいました。
法然を祀る京都の知恩院には、勢至堂が建てられ、勢至菩薩像(鎌倉中期の慶派作・国の重要文化財)が安置されています。

5.勢至菩薩を見に行くのならこんなお寺がお勧め

・知恩院 勢至堂
京都市東山区林下町400

・京都大原三千院(三千院門跡)
京都市左京区大原来迎院町540

・高野御室 別格本山光台院(快慶作・国の重要文化財)
和歌山県伊都郡高野町高野山649

時に高僧、時に月。勢至菩薩とはどんな菩薩?

一般的には大して有名でないものの、実力者という物はいるものです。脳ある鷹はナントヤラタイプもいますが、他が有名すぎて一般人の目にはあまり目立たないタイプもいます。
偉大なる智慧仏、勢至菩薩はどうやら後者のようです。

勢至菩薩基礎知識

あまり聞き慣れない名前ですが、それは相方があまりに有名なためです。
その相方とは観音菩薩。相手に合わせて姿を変え、変化数のバリエーションも豊富な観音菩薩に比べると何だか地味な印象を与えます。コンビの「〜さんではない方」と言った方が分かりやすいかもしれません。
独尊像があまりないのも、知名度の低さに拍車をかけている模様。しかし、その役割は観音菩薩に匹敵するほど重要な物です。
それ即ち、智慧の光で、六道に迷う衆生を照らし、救いの道を示すこと。名前の意味は「ちょっと足を踏み出しただけで、全ての世界が揺れますよ」というものです。
阿弥陀如来の脇侍として、観音菩薩と共に脇に控え、時には一緒に極楽往生の為来迎も担当。三尊像では基本的に右に位置し、頭には水瓶を着けています。
中には清浄な水が入っており、高い功徳を持つこの水で、衆生の願いを叶えることもあるようです。三尊像では観音像と見分けがつかないのがほとんどですが、頭部の水瓶と右(向かって左)という立ち位置で見分けがつきます。また、衆生が乗る蓮台を差し出す観音像に対し、合掌しているのが勢至菩薩です。
サンスクリット名はマハーストハーマブラーブタ。何だか呪文のようです。またの名を得大勢菩薩、或いは大勢至菩薩と言います。

毎月23日は勢至菩薩の日。悪霊払いと罪の帳消し、二十三夜塔

基本的に三尊像、もしくは来迎図などで「一員」として参加する勢至菩薩ですが、まるっきり独尊像がないわけではありません。
仏様にはそれぞれ縁日が決められています。誓いを立てた日、生まれた日などがこれに当たりますが、勢至菩薩の場合は毎月23日が縁日となるのです。日本には月待塔という民間で発生した行事があります。決まった月齢の夜皆で集まって食事をし、月を拝んで悪霊払いをするという物です。
最古では室町時代から行われていたらしく、最も民間に普及したのが二十三日目。勢至菩薩の日ですね。この時だけは主役を張ります。この時の月が、勢至菩薩とされるようです。
この夜に勢至菩薩を念じるだけで罪が消えるとの賊心があります。通称は二十三夜塔など。二十三夜は、月待塔でも特に重要です。何故なら、月は勢至菩薩の化身だから。

法然和尚は勢至菩薩の化身?浄土宗絡みの逸話

1133年のこと。美作国(現在の岡山県)に住む一人の女性が男の子を産みました。
美作に於ける三館公と呼ばれるほどの名家、漆間家の跡取り息子です。しかし、父時国は「この子は将来僧侶になる」と実感し口にしました。というのも、懐妊が分かる少し前、妻秦氏がカミソリを飲み込む夢を見たというのです。
元々この夫婦は信心深く、地元の岩間観音によく足を運んで子を授かれるよう祈願していました。そんな折のカミソリの夢です。信仰心の強い時国は、カミソリから剃髪、つまり坊主頭を連想。夢のお告げを信じる辺り、かなりの真剣味が伺えます。しかし、これは伝説。実際には結婚から数年かかってようやく授かった大事な一人息子、跡取りです。
寺には入れず、武士として教育を受けさせました。少年の名は勢至丸。勢至菩薩に因み付けられた名前です。親御さんの愛情を感じる名前ですが、ご利益なのか両親の影響か。勢至丸は仏道の信仰に厚く、またその名にふさわしい賢い子に成長しました。
いい意味で大人のようにふるまうこともあったらしく、「これは大物になる」と伝記にも書かれたほどです。よく手を合わせていたとされるのは、西の方。つまりは西方極楽浄土を思わせる方角です。

そんな勢至丸が9歳の時。ショッキングな事件が起きました。ある夜、漆間家に賊が押しかけてきたのです。首謀者は、時国を憎んでいた預所(あずかりどころ)という役職に就く明石源内武者定明という人物。預所というのは土地(荘園)の所有者に代わってそこを管理、経営などを行うお仕事です。真面目にやっていた人も多かったでしょうが、中には利益目的で荘園を広くしようとする輩もいました。
その一人が、首謀者明石定明というわけです。何でこの人に恨まれたかと言えば、時国の務める横領使が今で言う警官だった為。「うざったいから襲撃だ!」となってしまいました。というか、他でも結構この手の衝突はあったそうです。ともかくも、時国はこの襲撃で致命傷を負います。幼い勢至丸を呼ぶと、こう告げました。「相手を恨むな。私がこうなったのは前世からの因縁だ。嘆き悲しむと恨みが募って、後々まで争うことになる。だからお前は出家をし、私を弔って仏道に生きろ」息子に託した遺言です。逆恨みされた挙げ句に瀕死の重傷を負っても尚こう言い残せる人、どれくらいいるでしょうか。
ともあれこのことがきっかけで、勢至丸は叔父である観覚のいる寺で修行を始めます。この叔父さんというのが、彼の比叡山や奈良のお寺で修行した、僧侶としては結構優秀な部類でした。そんな叔父、観覚だからこそ、甥の勢至丸がいかに才覚に長けているかが分かったようです。「お前ね。美作でくすぶっていたら駄目だ。ここよりも比叡山で修行をした方がいい」とアドバイスをしました。
当時、比叡山で修行するということは、いわば東大に入るような物でした。それ即ち、最高の学府という意味です。
西塔、東塔、横川の三つの土地に、合計16谷を有するマンモス校でした。父の言葉を励みに仏道に入った勢至丸は、仏道をとことんまで極めたいという想いを持ち、説得の果てに母と別れて入山を果たしました。この時、13歳。まず入ったのは、源光という僧の下でした。ここで中国の高僧が記した全12巻から成る『四教義』を読破し、内容を完全に理解。「タダ者ではない」と悟った源光は、「お前がここの後継者だ!」とすっかり感じ入ったようです。
後に勢至丸は、法然と名乗るようになります。そう、浄土宗の開祖です。

若き法然の目には周囲は破戒僧の掃き溜めにしか見えませんでした。「何土地争ってんの!?何で戒律守らないの!?坊主の務めを放り出して、政治に首を突っ込むなよ!」と次第に迷い始め、遂には師匠の許しを得て「ちょっと頭冷やしてきます」と若い身空で隠遁生活を開始。無論、修行の為です。
西塔の青龍寺にて大きな出会いがありました。『往生要集』という書物です。源心の著書で、地獄と極楽の様子が事細かに描かれていました。
これで極楽浄土を意識するようになり、「南無阿弥陀仏」の念仏を人々に広めようとの気が起きます。この頃の念仏は、まだ僧侶だけの物でした。
この決意を新たにしたのは、一度山から降り、世間の悲惨な様子を見てからのことでした。戦や飢えで苦しむ人々を簡単な南無阿弥陀仏の念仏で救う。まさに、智慧の光で衆生を救う勢至菩薩の化身というに相応しい人物なのです。


まとめ

あまり知られていない勢至菩薩ですが、阿弥陀如来様の脇にいるだけあって月や高僧に例えられるほど重要な仏様なのです。
頭部の水瓶で清らかに、合掌する姿も有難く、改めて尊いお姿に見えてきませんか?

*−−−−−−−引用終了−−−−−−−*

ここにあったほうがいいのは普賢菩薩の伝説だと思いますね。

さらに、この仏法の知恵と慈悲とは、本当は現代においてもっと社会科学として実現すべきものだということです。

(了)
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する