「見る方向に進み、見るものに似ていく」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/18962 (写真入り記事)
30年以上バイクに乗っていますが、いつも怖い乗り物だと感じます。こちらが安全運転をしていても、相手があることだからです。いつも祈りながら慎重に運転します。
しかし、本当は面白い乗り物です。
面白さの一つは、見る方向向かって進んでいくところです。
カーブを曲がる時、カーブの先の出口を見ています。そうすることで、カーブをきれいに曲がることができます。
対向車や障害物を見て、「怖い、ぶつかるかもしれない!?」と思ったら、体に力が入ります。さらに、見た方向目に進んでしまいます。
これは人生と似ています。
どういう未来を描き、期待し、信じているかで、その方向に向かって生きていくことになります。
イエス・キリストは、「あなたの信じたとおり、あなたになる」と言われましたが、今日、「あなたが信じている夢があなたの未来になる」のです。
「なでしこジャパン」の『澤穂希選手』は、「苦しい時は私の背中を見なさい」と他の選手を励ましました。
人生においては、何を見ると共に、誰を見るかが大切です。
聖書は、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヘブル書12:2)と語ります。
何を見るか!? 誰を見るか!? これが人生を決めます。
旧約聖書に登場する預言者エリヤには、エリシャという後継者がいました。エリシャは、師匠であるエリヤに、「あなたの二倍の油注ぎを下さい」と願いました。
エリシャは、エリヤのさらに二倍の力と能力を求めました。
エリヤは、「あなたはむずかしい注文をする。しかし、もし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことがあなたにかなえられよう。できないなら、そうはならない。」(列王記 第二 2章10節)と語りました。
「難しい注文だけど、もし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことがあなたにかなえられよう。」とはどういうことでしょうか?
エリシャが、エリヤが天に昇る姿を見るためには、「だるまさんがころんだ」や「かくれんぼ」のように、 「パッ」と見て、「エリヤ先生、見―つけた!?」というようなことでしょうか?
エリシャがエリヤの天に昇る姿を見るためには、いつもエリヤを見ていなければその瞬間を見過ごしてしまいます。
聖書は、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヘブル書12:2)と同じことを語ります。
エリシャがエリヤをいつも見ていたように、私たちも、「いつもイエスを見続けて」いきたいものです。
私たちが、心と信仰の目でイエスを見続けるならば、決して失望することがありません。
「彼に信頼する者は、 失望 させられることがない。」(ローマ 書10:11)
素晴らしい一日でありますように。
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