https://twitter.com/gorohani/status/1005047757881536513
羽仁五郎bot
@gorohani
<blockquote><strong>基本的人権が公共の福祉によって制限されるというようなことはありえない。基本的人権の行使が、公共の福祉によって制限されることがあり得るだけなのである。人民はあたまを良くして、ごまかされないようにしなければならない。</strong></blockquote>
20:23 - 2018年6月8日
アステローペ・リーフ
@reef100
返信先: @gorohaniさん
<blockquote><strong>
権利の制限と、権利の行使の制限と、どう違うのか。そんなことわかる日本人はまずいない。権利はあるけど権利を行使したら制限されるって、これ、権利の制限というのだ。
羽仁五郎の言葉を理解するには、上のような頭の論理では把握できない。
ではどうすればいいのか?</strong></blockquote>
9:00 - 2018年6月9日
アステローペ・リーフ
@reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん
<blockquote><strong>
羽仁五郎の上の言葉には、それを包み込むもっと大きな原理原則、公理というものがあるのだ。</strong></blockquote>
9:00 - 2018年6月9日
アステローペ・リーフ
@reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん
<blockquote><strong>
それは、ものすごくデフォルメしていえば、基本的人権が上か、公共の福祉が上か、という問題において、基本的人権が上だという事だ。
基本的人権は、自然権だが、公共の福祉は、自然権ではない。もっと具体的に言えば、基本的人権は個人の自然権だが、公共の福祉は個人の自然権ではない。</strong></blockquote>
9:04 - 2018年6月9日
アステローペ・リーフ
@reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん
<blockquote><strong>
更に原理的にいえば、これは、公理なのだ。約束定義。どこでそんな約束定義を、即ち公理を持ったのか?</strong></blockquote>
9:05 - 2018年6月9日
アステローペ・リーフ
@reef100
返信先: @reef100さん、@gorohaniさん
<blockquote><strong>
近代社会契約以後の国家の約束定義(=公理)として、「国家は人民が作った。人民の自然権を守るために、人民が国家を作った」という公理
=約束定義を人類は歴史上持ったのだ。そこを継承して、近代democracyがあるということ。羽仁五郎の言葉はこの継承の上で成り立っている。</strong></blockquote>
9:07 - 2018年6月9日
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