「おお!」と思ったのは、猿沢池の周囲です。
先日ご紹介した明治18年の定宿帳にあった魚屋佐兵衛(魚佐)と、明治31年の定宿帳にあった印判屋が載っています。位置もピッタリ。
奈良の名所絵図を何枚か持っていますけれども、それらの絵図に宿屋が載っていることはほとんどありません。そういう意味でこの絵図は貴重です。
海外からの旅行者を対象にしているので旅館を載せたのでしょうかね。
定宿帳2点とこの鳥瞰図とがうまく繋がりました。
この絵図、発行年月が記載されていないので、いつのものか分かりません。
ただ、奈良国立博物館が載っていますので、奈良国立博物館ができた明治28年以後のものです。
現代の地図と比べてみると、菊水楼はどちらにも載っています。現在、菊水楼の近くにある四季亭は鳥瞰図には載っていません。温泉所とあるあたりです。四季亭の創業は明治32年だそうですので、この鳥瞰図の年代は、奈良博ができた明治28年以降で、四季亭ができる明治32年以前ということになります。
意外と範囲が狭められました。明治時代の奈良に詳しい方が見れば、もっと絞り込めるかもしれません。
なお、奈良ホテルの建っている場所は、鳥瞰図では飛鳥山とあり、建物は建っていません。奈良ホテルは明治42年創業だそうですので、載っていなくて当然ですね。
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