■「政府は責任認めて」 風化する天安門事件、遺族の願い
(朝日新聞デジタル - 06月05日 05:35)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5141261
1989年。
東欧ではピクニック計画に端を発する革命の嵐が吹き荒れ、社会主義も共産主義も独裁政治も自由を求める民衆の手で過去の遺物となっていった時期。世界最大の共産国家であったソ連すら、持ちこたえられずに崩壊し幾つもの小さな国家が独立を果たした。
独身者だった、チャウシェスクとその妻が銃殺される映像が公開された。
ブランデンブルグ門が開け放たれ、カドリガを操る勝利の女神のもとでベルリン市民は自由をその手で掴み取った。
そんな時代の熱風の端っこに中国も在ったけれど、中共は力づくで民衆化を拒む。
もしかしたら、大昔から集合離散・勃興と亡国を繰り返し幾度となく乱世を経験してきた漢民族としての本能的な畏れが根底にあるのかも。
独裁者が倒されて祖国が豊かになりましためでたしめでたし、といかない複雑な現実もある。フセインやカダフィ亡きあとの中東の迷走を例に出すまでもなく、果たして、シューキンペーが万が一暗殺などされたら中国は幸せになれるんだろうか。
天安門の赤は、民衆の血を吸った呪詛の赤。
造反有理の旗を翻していいのは漢民族だけではないと、多くの民衆はあの時気付いた。いずれ、パンドラの箱が再び開けられる機会が巡ってくるかもしれない。
その時。
底に残るのは、希望か。
それとも……………………
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