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2018年05月27日00:08

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「甘んじて」の意味

関学大の強い疑念に日大は「批判は甘んじて受ける」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=5128327





勘違いしている者が多いが、「甘んじて受ける」の「甘んじて」は「仕方なく受ける」という意味だけではない。

「与えられたものが不十分であっても、それを受け入れる」という意味も存在する。


甘んじて・・・「甘んじる」の連用形である「甘んじ」に、接続助詞「て」が付いた形。
甘んじる・・・「 あまんずる 」に同じ。
あまんずる・・・与えられたものが不十分であっても,それを受け入れる。仕方がないと思って我慢する。


つまり、「批判は甘んじて受ける」は「批判を仕方なく受ける」という解釈だけではなく、「批判内容が不十分なものであっても、それを受け入れる(つまり、与えられたものをそのまま受け入れる)」という解釈もできるということだ。


ここで今一度「甘んじて受ける」という表現をよく分析してみる。

先述した2つの「甘んじて」の意味(「与えられたものをそのまま受け入れる」と「仕方なく受け入れる」)は言い方を変えただけだが、後者の「仕方がないと思って我慢する」を採用すれば「甘んじて受ける」は、「仕方がないと思って我慢して受け入れる」になるから、解釈に矛盾は生じない(ちなみに前者だと「与えられたものをそのまま受け入れて受け入れる」と重言が生じる)。

その他にも後者の意味を採用した方がしっくりくる文がある。

例えば、「清貧に甘んずる」も「与えられたものをそのまま受け入れる」では意味がおかしくなる。

清貧を「仕方がないと思って我慢する」であれば意味が通る。


しかし、実際に辞書を引くと甘んじて(あまんずる)には「与えられたものをそのまま受け入れる」という意味も出てくる。

では、何故矛盾が生じる前者が意味として出てくるのか。


それはつまり、「与えられたものをそのまま受け入れる」とは「意訳」だと解釈できるということ。

意訳とは「一語一語にとらわれず、全体の意味やニュアンスを汲みとること」である。

このことから、私は「事件発生から今日までの経緯、世間に与えた印象を考慮すれば、今後の批判に対してその内容や根拠が不十分であっても、受け入れる」と解釈し、つまりは「全面降伏に等しい発言」だと結論付けることができると考える。

それは、当該記事本文を読めば、

1 「甘んじて受ける」の言い方が「厳しいご批判は甘んじてお受けいたします」と、「仕方ない」というよりは「どんなものでも」というニュアンスに聞こえること
2 当該問題に関する疑念、疑問に関しては大学が立ち上げる第三者委員会の調査に委ねる姿勢を取っていること
3 傷害事件に対し、捜査には全面的に協力していく姿勢を取っていること

ということを根拠として、この結論も一つの可能性として十分に考えられると思う。


また、別角度から見れば、そもそも「甘んじて受け入れる」とは「甘受」という言葉と同義であり、この甘受という言葉の本来の意味は「快く受け入れる意」だ。

つまり、「甘んじて受け入れる」は「快く(嫌な気持ちを持たずに素直に)受け入れる」となり、これは「仕方なく受け入れる」というニュアンスよりは「そのまま受け入れる」というニュアンスの方が妥当(むしろ、この場合「仕方なく」というニュアンス自体が誤用であるということになる)。


一方で、「真摯」とは、「まじめでひたむきなこと。事を一心に行うさま。」であるから、こちらは「一所懸命ではあるが、全面降伏とは言えない状態(つまり、内容や根拠がしっかりしていない批判は受けられない。むしろ、しっかり反論する。)」と解釈するのが妥当。

とすれば、日大に対し批判的な者にとっては、「真摯に受け止める」よりも「甘んじて受け止める」方が都合がいいはずなのだ。

故に、「甘んじてではなく真摯だろ」等のコメントをしている者は少なくとも妥当ではない。

ましてや、「日本語分からないのか」と断定している者の方こそ「日本語を分かっていない」と言えてしまう可能性がある。

その場合、少なくとも「「甘んじて」よりも「真摯」の方が適切だ」と思った理由(つまり、「与えられたものをそのまま受け入れる」を排除した理由)が必要になるから、これを述べる必要が出てくる。
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