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2018年05月24日18:14

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俺はそうは思わない・・

天候は良好、ルートも原因ではない… 栗城さんは、なぜ亡くなったのか?

http://www.msn.com/ja-jp/news/sports/%e5%a4%a9%e5%80%99%e3%81%af%e8%89%af%e5%a5%bd%e3%80%81%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%83%88%e3%82%82%e5%8e%9f%e5%9b%a0%e3%81%a7%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%84%e2%80%a6-%e6%a0%97%e5%9f%8e%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%af%e3%80%81%e3%81%aa%e3%81%9c%e4%ba%a1%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%8b%ef%bc%9f/ar-AAxIN0o?ocid=iehp#page=2

登山家として、特筆すべき実績を残してきたわけではない。それでも、彼のfacebookページに書き込まれた死を伝える投稿には、わずか1日で2万6000を超えるアクション(「いいね」などの反応)と3千件以上のコメントが寄せられた。

 栗城史多さん、35歳。5月21日、8度目のエベレスト挑戦の途上で帰らぬ人となった。栗城さんは大学山岳部で登山をはじめ、これまでに7大陸最高峰のうちエベレストを除く6つを制覇。8千メートルを越える高峰にも、4度登頂してきた。

 栗城さんは「冒険の共有」を掲げ、登山の様子のライブ配信などに取り組んできた。2012年、エベレストで重度の凍傷にかかり手の指9本を失ったのちも登山を続け、2014年には中国・パキスタン国境の高峰ブロード・ピーク(8047メートル)の登頂に成功。登頂の瞬間は、無線を通じてベースキャンプに届く栗城さんの声が生配信され、多くのファンが見守った。

 10年来のファンだという30代の女性は、栗城さんの魅力についてこう話す。

「チャレンジし続ける姿勢に注目していた。挑戦する彼を応援することで私も元気になれる」。

 栗城さんは、自らの挑戦を積極的に発信することで、若い世代を中心に多くの人を惹きつけた。

 一方で、栗城さんのスタイルには批判もつきまとった。常に「単独・無酸素」を信条としたが、本来の意味での「単独・無酸素」には当てはまらない部分もあった。「単独」登山を、ある登山家はこう定義する。

「単独登山とは本来、ベースキャンプを出発してから第三者の支援を一切受けずに登頂し、ベースキャンプまで帰還することです」

 しかし栗城さんの登山では、撮影班がすぐ近くを移動するなど、いわば見守られている状態だった。過去には自身のブログで、隊のシェルパ(ヒマラヤ登山のガイド役)が途中までルート工作したことも明かしている(記事は削除済み)。

 また、登山計画も実現可能性に欠けるものだった。

 今回栗城さんが挑んでいたエベレスト南西壁について、「登山界のアカデミー賞」ともいわれるピオレ・ドール賞を2009年に日本人として初受賞した登山家の天野和明さんはこう語る。

「技術的な難度ではエベレスト最難関です。世界トップのクライマーが挑んで、登れるかどうか、というレベルでしょう」。

 事実、エベレスト南西壁の無酸素での登頂に成功した日本人はこれまでいない。

 もっとも、このルート選択が、今回の死に直接つながった可能性は低い。

 事務所などによると、栗城さんは現地時間20日夜、標高7400メートル付近のキャンプで体調を崩し、下山を開始。その途中で亡くなったようだ。栗城さんが無線に応答しなくなり、ヘッドランプの光も見えなくなったことから下部キャンプ近くにいた撮影スタッフとシェルパが捜索したところ、21日朝、栗城さんの遺体を発見した。詳しい死因はまだわかっていないが、事務所の発表には「低体温で息絶えた」とある。

 では、栗城さんは、なぜ亡くなってしまったのか。

 一部報道では悪天候の影響が指摘されたが、多数のエベレスト登山隊に気象情報を提供している山岳専門予報士の猪熊隆之さんは、天候に問題はなかったと話す。栗城さんが亡くなったとみられる21日やその前日は、エベレスト周辺は晴れで気温も高め。

「登頂を目指すタイミングとしては適切です。栗城さんがいたとされる南西壁の下部ならば、風も問題なかったはずです」

 一方で、低酸素状態が影響した可能性はある。栗城さんは酸素ボンベを使用せず、標高7000メートルを超える高度まで登っていた。日本登山医学会の会員で、登山トレーニングなどを行う「ミウラ・ドルフィンズ」の低酸素室トレーナーを務める安藤真由子さんは、詳しい状況がわからないのであくまで一般論、と前置きしたうえでこう話す。

「高い標高に体を慣らす順応作業にかかる日数は、標高7千メートル未満と7千メートル以上では大きく変わってきます。それだけ7千メートルという標高は体にとってのダメージも大きいのです。三浦雄一郎さんの次男、三浦豪太さんが過去に重篤な高山病の一種である肺水腫になったのも標高7400メートル付近でした」。

 栗城さんは有名なる前も、有名になった後も、自らスポンサー営業を続け、時に大きな借金も抱えながら登山を、そしてその中継を続けてきた。批判もあれど、愚直に生きた。

「栗城さんの生き方を見て、自分に限界をつくってはいけないと感じていました」(別の女性ファン)。

 NO LIMIT――。彼の著書のタイトルにもある言葉は、多くのファンの胸に届いた。(編集部・川口穣)



俺はスタイルはいいと思う

むしろ、前から酸素を使わないと登れないなら
登っちゃいけない・・

だと思う・・・


ボンベのゴミも凄いし

酸素のおかげで
ツアー登山のおかげでの大事故もずーと前におきた・・


酸素を使わないと登れない人は
登っちゃいけない・・


だと思う・・


じぶんの体力の限界点を見極める・・

これが大切だと思う・・




一度凍傷を負うと
そこが、かなり冷えるようになる・・

これもある程度の限界だと思う・・


前も書いたが
2度失敗してところで
自分の限界点を見極めることが必要だったのでは・・


でも35歳・・微妙だな・・


まだできる・・と思う年齢なんだよな・・


無酸素にこだわる彼は好きだったな


南西壁か・・う・・・

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コメント

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