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2018年05月11日07:20

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日本1251

■「セクハラ罪ない」発言は不適切 野田総務相が批判
(朝日新聞デジタル - 05月11日 01:27)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5105737
議員というものは、徳という観点が無きものだとも思う・・・(笑)。
せめて、リーダーたる、大臣は、その徳を考えて頂きたいものである。又、同党内で、そうであれば、立案する・・・所謂、法律化すると宣う・・・議員にも、その成文化がどれほどの権力を発揮するという・・・強さ(コワサ)にも注目して貰いたいものである・・・(笑)。
小中学という初等教育での道徳教育は、財務省、及び、国会議員に必要な事なのかもしれないが・・・先ずは、その道徳が如何なる解説が記されているのか???一度、時間のある時にチェックしてみたいものである・・・(笑)。行政のする事は、大丈夫だと思う事が誤りなのである・・・。これは、過去にも経験した・・・とある地方行政で、見た看板について・・・(笑)。そして、とある・・・旗について・・・(笑)。
気の弛みがそういう事態を招くのである・・・。新潟の様な、凄惨な事件には、ハンムラビ法典の如く・・・時折、ハンムラビ法を以て処罰せよとの怒りがこみ上げて来るが・・・、それとも・・・左頬を打たれて、右頬も出せるのか???。ハンムラビ法は、中学生でも学ぶ、法規なのである・・・、これだけは、珍しく、その当時の教科書にも、簡単であるが、内容が記されていたと思う・・・(笑)。
所謂、目には目を・・・歯には歯を???だったか???。復讐の罰なのである。

罰を与えなければ、更生・・・矯正出来ないとする・・・・文化なのだとも思う。
更生、矯正する・・・という事は、手本が存在する筈なのである・・・・(笑)。受刑者等も・・・恐らく感じると思う・・・、誰を手本として・・・・日々を送るのだ???という事。死刑確定者は、宗教本に心を惹かれるという・・・、これは、単に、自分の死というものに向き合うものだけでは無く、恐らく、人としての模範とは???という思考も働くのでは、無いか???と思う事がある・・・。

海の水をインクにして・・・・、そして、海の水を墨にして・・・という、言葉がある。クルアーンと仏教の共通点を見出す件(クダリ)である・・・・(笑)。どちらもその後は、語りつくせないと続くのである。
人として生きる・・・・模範は、何処にあるのか???。それが、宗教の由縁、仏教は、仏という存在を説くのである・・・(笑)。
その仏に人が成れるという定義を示したものが法華経なり・・・。それは・・・上宮の法華義疏にも書かれている筈であるが・・・(笑)。
こういうものの現代語版を出さねば・・・現代の人は、理解し難い事も確かな事である。
義務教育で習う・・・上宮の十七条憲法は、名のみで・・・内容が有ったとしても、和を以て尊しと成す・・・程度の事であろう・・・(笑)。十七条も漢文調で、記されている為、その漢字をどう読むのか???これにて、全てが尽きるのである。一般的に道徳を説くとされる論語等もそうなのであるが・・・・(笑)。この読み方に依って、本来は、宗派が決まる筈・・・(笑)。金儲けの権益にて、宗派が決まっているのでは、無い筈なのであるが????(笑)。

この麻生さんと野田さんの見解も同じ様な事・・・・否、坊主界の勢力争いの方が・・・???。小乗経では、一般大衆は、仏教用語では、衆生という・・・が、それらは、成仏・・・死ぬことでは、無い・・・仏に成る事は、出来ないとされるが・・・(笑)。今の世・・・衆生方の成仏が、場合に依っては、早いのかも???とすら、疑う坊主の知識を聞く・・・・(笑)。

我が国にとって・・・否、我が地域にとっての道徳とは???と究極の観点をそれぞれ国民が、考えてみると良い・・・意外と習慣、法律用語では、慣習・・・この法(一般的に使う)慣習法の重要性が、分かるのである。
この慣習は、地域、地点に依り・・・かなりのズレがある事に気付くのである。

この麻生さん、野田さんの出身地から来る・・・ズレがあっても当然なのだ・・・という事である。だが我が国は、統合されていると宣言しているのである・・・・(笑)。

所謂、これは、共通の言語を指すものなのだろう????、しかし、この共通の言語に依って諍いが生じている・・・(笑)。相手が何を言っているのか分からない事こそ・・・本当は、平和なのかもしれないとも思う・・・事である(笑)。

しかし、それでは・・・理解し合うという事には、発展しない・・・。クルアーンは、アラビア語・・・所謂、クライッシュ族系の言葉で読むべし・・・とする伝統があるが・・・それでは、民族同士の・・・そして男と女の理解し合うという行為は、出て来ないものだとも思う・・・・(笑)。

先ず、理解し合うという行為は、お互いの特徴、特性を認める事・・・・そういう事を見極めるには、ある程度の学が・・・知識が必要となってくるのだ・・・とも思う・・・(笑)。
何を範として・・・・人々が生きるのか・・・・これが、法・・・、人々が生きる為の範と出来得るものの存在を・・・この日本に問うものである。

さもなければ、罪と罰・・・との相互関係に依ってしか・・・日本の法は、存在しないともなってしまうのである・・・、だから、日本国憲法は、法では、ないのかも???しれないのである・・・(笑)。

正しく、麻生さんと野田さんの見解の違いの底辺には、法に迷う者・・・法を知らぬものの態が見て取れるのだとも思う・・・・正しく・・・・衆議院なのである・・・・(笑) ペンギン

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