mixiユーザー(id:5141166)

2018年05月08日22:40

252 view

【ツイートまとめ】足立正聲─「山陵完全」の大功

※ツイッター(https://twitter.com/hiko10ro)に連投した文のまとめです。

今週の『神社新報』連載記事「明治神道人の足跡」は、宮内省諸陵頭などを務めた足立正聲大人を取り上げている。足立翁の特筆すべき功績は、諸陵助時代の明治22年に未治定であった歴代天皇陵を治定し、(長慶天皇皇統加列前の)当時としては「山陵完全」を実現したことである。

中世の戦乱により荒廃した多くの天皇陵は、泰平の世となった江戸前期元禄年間以来積み重ねられた研究と探索により、幕末〜明治期までにはその大半の治定・修復をおえることができた。しかし史料等の不足により、どうしても探索することができない山陵もあった。それら未治定山陵を「適地」に決定し、皇室の御祖先祭祀の場を全からしめたのが足立正聲大人であった。

足立翁のかかわった明治22年治定山陵群は、戦後の学者らによれば“治定の誤り”の典型例として論われるものばかりである。しかし足立翁は決して治定を「間違えた」ワケではなく、本来の奉葬地の探索が残念ながらほぼ不可能なものについて、その皇霊祭祀を行うのに最も適した地を選び治定したのであって、それは陵墓治定の本質が「その帝を祀る場所を定める」ことにあることを確信していたからである。

「その帝を祀る場所」であるという陵墓の本質は、記事に出てくる上野竹次郎翁『山陵』のみならず、戦前期においては不審なく弁えられていたことであり、昭和19年の長慶天皇陵治定にもその考え方は引き継がれている。

しかし戦後の学者らにとって陵墓は単なる「遺跡」や「文化財」であって、霊廟もしくは祭祀の地といった陵墓観を共有してはいない。本来の奉葬地を確定できるに越したことはないのは勿論だが、昨日今日できたそこらへんの国とは違って長い長い歴史を有する我が国は、天皇の奉葬地ですら年月を経て探索不可能な場合もある。その時、欠くるなき歴代皇霊祭祀のため、適地に陵所を定めることの何が捏造といえるだろうか。

…とまでは新報の記事には書いてないが、当然そこまで分かった上で書いておられるはずだ。

記事画像
https://pbs.twimg.com/media/DcrNHZhUQAALL-D.jpg
フォト
5 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する