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2018年04月27日08:10

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望月氏は月氏では無いようですが「今様望月」について

望月義夫議員が気になって
秋月梯二郎という人物と顔が似ている。

望月氏は元「満月」と書いたが後に「望」に改めたというが「亡月王」という漢字、不気味で…。
義夫の義は「魏」なんじゃ?まさか「餅」も食べない方が良いとか?

※秋月梯二郎とは
秋月悌次郎 - Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E6%9C%88%E6%82%8C%E6%AC%A1%E9%83%8E

下総国発祥千葉氏の末裔である丸山胤道の次男として若松城下に生まれる。丸山家の家督は長男の胤昌が継ぎ、悌次郎は別家として秋月姓を称する。藩校・日新館に学び、南摩綱紀とともに秀才として知られた。天保13年(1842年)に江戸に遊学し、私塾や昌平坂学問所[1]などで学び、また薩摩・長州など諸国を渡る。

藩主・松平容保の側近として仕え、文久2年(1862年)に容保が幕府から京都守護職に任命されると、公用方に任命され、容保に随行して上洛。薩摩藩士・高崎正風らと計画を練り、会津藩と薩摩藩が結んだ宮中クーデターである八月十八日の政変を起こし、藩兵を率い、実質的指導者として活躍した。後に佐幕派の反対を受け、慶応元年(1865年)には左遷されて蝦夷地代官となる。

その後に召喚されて薩摩藩との関係修繕を試みるが失敗。戊辰戦争では軍事奉行添役となり各地に出陣したが、専ら裏方として活動し戦場で戦う機会は無かった。降伏の際には手代木勝任とともに会津若松城を脱出し米沢藩へ赴き、その協力を得て官軍首脳へ降伏を申し出た。また小川亮、山川健次郎の2人の優秀な青年を、面識ある長州藩士の奥平謙輔に預けた。

会津藩軍事面の重要な役に就いていた事もあり猪苗代において謹慎し、明治元年(1868年)には会津戦争の責任を問われ終身禁固刑となるが、明治5年(1872年)に特赦によって赦免される。同年、新政府に左院省議として出仕し、第五高等学校(熊本大学の前身校)など各地の学校の教師となる、五高では小泉八雲と同僚であった。

晩年は東京に住み、明治33年(1900年)、75歳で死去。墓所は東京都港区の青山霊園。

人物 編集
小泉八雲は、悌次郎の会津藩士としての熾烈な過去と、常に柔和で生徒の尊敬を集める人格を高く評価し「神が姿を表すとしたらこの老先生のような姿だろう」という意味のことを記述している

望月義夫さんは、顔がこの秋月梯次郎に似ているので、やはり養子ではないかと推測したが
「信濃の望月氏は滋野氏が出自」なのと「武田氏が養子に入った望月氏」があるらしいです。


調べると

※■ 望月(もちづき)
【2017/09/01:改編】

# 158位
# 全国順位(森岡浩ランキング): 164位

# 信濃の望月家は信濃国佐久郡望月をルーツとし、信濃の古代豪族の滋野氏の流れ。源平の戦いの時には木曽義仲に従い、後に鎌倉幕府の御家人を経て戦国時代には武田信玄に従った。

# 山梨県早川町では約四割が望月姓。

# 望月という地名由来の望月は各地にみられる。望月という地名は月に対する信仰に由来し、近江国、常陸国、三河国、伊賀国、肥後国などに望月を名乗る武士がいた。

# 望月は餅月で実りの秋の十五夜に団子を作って月の女神を祭る行事に由来する。

【知って楽しい「苗字」のウンチク 丹羽基二 PHP文庫】

# 望月

・ 望月(もちづき)は、陰暦十五夜の月、満月の異称。

・ 信濃国佐久郡望月村(長野県佐久市)では、陰暦十五夜の夕べから、牧場で良馬を選び、朝廷に献上する習わしがあった。そこから望月の地名がおこり、滋野氏の支流の海野氏の一族が望月氏を称した。

・ 「もちづき」: 「三五月」「十五月」「十五夜」「持月」「餅月」「餅搗」など、すべて「もちづき」と読む。

【姓氏苗字事典 丸山浩一著・金園社刊】

# 望月
・ 平安時代には毎年8月15日の望月に、信州の牧場から駒引きの儀式のため貢物の駒(馬)を調達した。そこで、この地を望月の牧と呼んだ。望月は満月で、古来より和歌にもよまれた。この信濃国佐久郡望月をルーツとするのが滋野氏の出の望月氏。望月重義は保元の乱で功をなし、重隆は弓の名人で源頼朝の家臣。子孫は遠江守や越中守をつとめ、庶流は甲斐、駿河、近江に広がった。また、武田信虎の孫の信頼が名跡を継いだ望月氏は、清和源氏の武田氏の出。信濃国、駿河国にはこの系統が多く、武田氏滅亡後には帰農した。そのほかに、伊勢神宮や熱田神宮の社家や安芸国や肥後国にも望月氏の名がみえる。なお、近江国甲賀の望月氏は藤原姓や源姓という。

【戦国大名家辞典 森岡浩 東京堂出版】より
# 長野県の望月家: 信濃国佐久の国人。滋野氏の一族で信濃国佐久郡望月(長野県佐久市)をルーツとする。平安時代末期には木曽義仲の挙兵に従い、鎌倉時代には幕府の御家人、室町時代には南朝に属した。戦国時代には武田氏に属し、徳川家康によって望月城が落城。

# 滋賀県の望月家: 近江国甲賀郡池原杣荘(滋賀県甲賀市甲南町)の国人。室町時代に中山氏にかわって池原杣荘を支配し、戦国時代には甲賀21家の一つとして六角氏に従った。

# 望月(もち-づき): 陰暦の十五日の夜の月。満月。特に、陰暦八月の満月(=仲秋の満月)。「望(もち)」。【全訳古語辞典・東京書籍】

# 望月: 満月(みちづき)を語源とし、「満」を佳字の「望」にかえた。【名字の謎学 博学こだわり倶楽部編 KAWADE夢文庫】

→不気味すぎる。月氏の中で「望月氏」はダントツ人口か多いようす。158位らしいが
我が家高月氏はネット情報によると、人口3255位(四千人) とのこと。
「神武東征」の神武天皇にも似ている気がしています。「武家」闘う戦闘民族じゃないでしょうか(*_*;

私たちは「環境大臣」にまで上りつめ、選挙で「票」取れ支持されるなんて思えないんです…「熱狂的ファン(FUN)」が無いから、教祖失格(*_*;

観月ありささんにしても、母親の離婚後の名前らしいですし当然、葉月里緒奈さんは芸名ですし
メディアに登場している「月氏」は全部、違う血筋ばかりではないか?と推測しています。
それは「八紘一宇」やら「統一統制」の「体の主」が自分の体の動力や組織(成分)を用いてしか「放送(指揮)を作りたくないから」ではないかと考えていますm(_ _)m

職場では「年上でキャリアも何もかも上でも、上層には上がれない。最後まで下働き」「選挙に勝てる事はない」「年金も給料も下、で結婚も邪魔され、一生影武者」そういう世の中になりつつあるのだと、感じています。特に「3K」と呼ばれる職場でリンチされるのではないでしょうか。で内勤は「スカラー波」に汚染され、体も悪くし、営業職は給料は良く「富裕層」で占拠される。それが「共産主義」ではないのか?とm(_ _)m


★【要拡散】 天皇家以上のタブー『 藤原氏の正体と悪行 』 ※名字から解る家系 : 世界の真実や報道されないニュースを探る ■地球なんでも鑑定団 http://check.weblog.to/archives/7788798.html

抜粋
・出自のよくわからない藤原鎌足が、どうしてこれほどまでに中枢の権力を握ることができたのか
関裕二さんは、鎌足は百済の王:豊璋であったと推論しています。
そんな馬鹿なと思いつつも、その論拠にはとても説得力があります。

扶余豊璋
扶余 豊璋(ふよ ほうしょう、生没年不詳)は、百済最後の王である義慈王(641年 - 660年)の王子。

・中臣鎌足は朝鮮人:豊璋
百済王子豊璋と当時の日本及び朝鮮半島の状況
鎌足についてはよく知られていても、百済王子豊璋についてはよく知らない人もいるかも知れない。
631年に、百済から人質として2人の兄弟王子、豊璋と善光が日本へ送られてきていた。
人質といっても、百済と日本は同盟していたので、客分扱いである。
その兄王子の豊璋が鎌足だったのである。

660年、唐・新羅連合軍の攻撃によって百済が滅亡した。
百済最後の王・義慈王は降伏後、死亡し、皇太子孝は行方不明となった。
百済の遺臣は、鬼室福信・黒歯常之らを中心として百済復興の兵をあげ、日本に滞在していた
百済王子豊璋を擁立しようと、同盟国・日本に救援を要請した。天智天皇はこれを承諾した。
豊璋は百済復興のため、約30年ぶりに呼び戻された。
百済国がないのに、ここでいったん豊璋は百済王として推戴された。

663年の白村江の戦いにおける指揮官は、日本軍は阿倍比羅夫、百済遺民軍は豊璋であった。
しかし、日本・百済遺民の連合軍は、唐・新羅連合軍に大敗した。
大敗する直前、部下を騙して自軍を捨ててこっそりと手勢数名だけで抜け出した豊璋は
行方知れずとなったとか、高句麗へ逃げたとか書かれているが、実際には、救援に来た日本の水軍と
合流し、密かに日本へ戻ってきていた。
豊璋は正体を隠すために、天智天皇から藤原鎌足の名をもらって帰化した。

一方、豊璋の弟善光は、行方不明になったことになっている兄の代わりに百済の王統を継ぎ
百済の王統を表す、「百済王氏」という特別な姓氏を受けて日本に帰化した。
また、二人の王子の他、国を失った百済王族たちが、一族配下の数千名(あるいは一万名とも)
を従えて集団で日本へ亡命してきた。

日本への朝鮮人の乗っ取りは
朱鳥631年の天武天皇時代から始まっていた
実に1,387年間もの長きに渡り鮮害を受けてきたのである

→この「扶余豊璋」の「フヨ」なる人種が「富裕層」の語源ではないか?、と仮定しています

・「藤原の栄華」とされる「今様望月」について
「望月氏」は元は満月氏だったが、名前を継いだ滋野氏や武田氏が望月氏の漢字を用いたというので、「満月氏」もネットで調べましたら、実際におられました
「全国で二万位以下で140人」でした、望月氏に比べ少なすぎる…
で「望月氏」を検索すると、Wikipediaで望月氏の項目があり、武家と書いています
「武家家伝 望月氏」も検索され、望月氏は武家。「甲賀望月家」も。
高月氏を調べましたら両方に項目無し。
我が家は、武家ではないと思うのですが

長唄の演目に「今様望月」がありますが、「今の世は月がかけることなく云々」という意味らしく藤原道長の歌らしい。奇妙だなあと以前から考えていたが
長年稽古していた長唄の、「今様望月」は丸〇さんという女性が唄を担当し、私の担当は「猿舞」「外記猿」を先生に渡された事がありましたので「今様望月がタイトルからして私ではないか?」と疑問でした。
でも私が担当の二曲には「月」という歌詞は含まれていました

ネット抜粋
藤原道長の「この世をば」わが世とぞ思ふ 望月の かけたることもなしと思へば」には道長のどのような気持ちが現れていますか?

ベストアンサーに選ばれた回答
大意は
「この世は自分のためにあるようなものだ。満月の欠けたことがないように」

であり、廟堂(びょうどう、政治を司る所。朝廷)、外戚(がいせき、母方の親類。天皇の后に自分の娘を入内させる)のすべてを固めるなど、「望月の欠けたることも無しと思へば=もう自分の思うようにならないことは一つもない」と、道長は彼の悲願であった藤原摂関家の揺るぎない地盤を完成を確信したため、栄華の象徴としてこの歌を詠んだのでしょう。

この歌は藤原実資の「小右記」に記されていますが、この実資という人物は道長も一目置いており、実資自身も道長に楯つかないまでも、おかしいと思ったら筋を通した人物ですので、道長にこの歌に対して返歌を詠んでほしいと頼まれても、「優美な歌であり、とても返歌など必要ありません」と答えていますが、内心では「望月=満月もいずれは欠けるものだ(栄華はいつまでも続かないだろう)」と思ったかもしれません(その後、望月が欠けていくかのように、道長自身は病魔に侵され、三男・顕信や入内した子女も次々に死去するなどの不幸に襲われます)

・藤原道長の「この世をばわが世とぞ・・」の意味をわかりやすく解説 | 大人になってから学びたい日本の歴史 https://manareki.com/konoyowoba

・「猿舞」歌詞
『三升猿曲舞』読み「しかくはしらさるのくせまい」)別名 兵吉猿舞
(杵屋六三郎述)

〔ウタイ〕『猿が参りてこなたの御知行
『まさる目出度き能仕る〔合〕
『踊るが手元及びなき、水の月とる猿沢の、池の小波悠々たり、指手引手の末広や
『月にたとへし止観の窓〔合〕
『此方のお庭を見あぐれば、片破月の宵の程
『可愛/\とさよへ、だまして置いて〔合〕
『松の葉越の月見れば、暫し曇りて又冴ゆる、あすは上手物舟が上手物〔合〕
『重たげもなくおよる君よの
『船の中には何とおよるぞ
『苫を敷寐の楫枕
『晩の泊は御油赤坂に
『吉田通ればナア二階から招ぐ而も鹿子の振袖が
『奴島田に丈長かけて、先のが品やる振り込めさ〔合〕
『手際見事に投草履、ありやんりや/\〔合〕
『こりやんりや/\、粹な目元にころりとせ仇物め〔合〕
『とめてとまらぬ恋の道馬場先退きやれ〔合〕
『色めく飾の伊達道具
『昔模様の華麗奴、これかまはぬの始なり
『まりの庭にも猿の神、厩の猿の馬れき神
『猿と獅子とは文殊の侍宿、時しも開く冬牡丹、花の富貴の色見へて、栄ふる御代とぞ祝しける

「外記猿」
『外記節猿』)
(杵屋三郎助述)
『罷り出たる某は、ずんと気軽な風雅者、日がな一日小猿を背に、背負ひ続けてナ姿如法やなん投頭巾
『夜さの泊りは何処が泊りぞ、奈波か名越か〔合〕
『室が泊ぞ/\
『泊を急ぐ後より〔合〕
『小猿廻せや猿廻しオヽイ/\と招かれて、立帰りたる半町あまり、玄関構し門の内、女中子供衆とり/゛\に、所望/\の詞の下、猿の小舞を始めけり
『ヤンラ目出度や/\ナ、君が齡は長生殿の、不老門の御前を見れば、黄金の花が咲や乱るゝ/\、旦那の御前でお辞儀をせ、ころりとせ転りや/\やつころりと、子持寐姿お目にかけや、さつても粋な品物め
『是は浪花に浮名も高き、河原橋とや油屋の、一人娘にお染とて、年も二八の恋ざかり、内の子飼の久松と、忍び/\に寐油を、親達の夢にも白絞、サア浮名の立つは絵双紙へ
『松の葉越の月見れば、暫し曇りて又冴ゆる、月は片われ宵の程、船の中にはなにとおよるぞ、苫を敷寐の楫枕、ひんだの踊は一ト踊
〔二上り〕『五月五月雨苗代水に、裾や袂を濡してしよんぼり/\と、植い/\早乙女
『実に面白や踊るが手元、辰巳午や春の小馬が鼻を揃へて参りたり/\
『猿に烏帽子を着せ参らせて/\、いさむ神馬の手綱をとらせう、手綱取らしよのんほのふいよへ
〔本調子〕『一の幣立て二の幣立て、猿は山王まさる目出たき/\〔合〕
『獅子と申はすみ/\すみ/\/\/\、住吉八幡普賢文殊のめされたる、猿と獅子は御しゆしよの物、アレ音楽の声諸法実想と響き申せば、地より泉が奏上して、天より宝が降り下る、尚千秋や万歳と、俵を重ねめん/\に、楽しうなるこそ目出度けれ、楽しうなること目出度けれ

→片割れ月という歌詞が両方にありましたので確かに月氏系かと思われるが「猿と獅子」も共通。

丸〇さん担当の長唄「今様望月」の歌詞は、望月という男に殺された、仇討ち物らしいです

でたまたま今日、フラメンコの演劇を見たのですが
その中にも「望月」の名前が出てきました、小野小町を「望月のように美しい」とたたえるセリフがあり
結婚前に、蛇に池に連れて行かれたという昔話を元に創作された演劇でしたが

「あれ?」と。竹取物語と少し似た話もあり、「それ、まさか丸山氏系(秋月梯次郎)のこと?」
と疑問。

「今様望月」を藤原摂関家の話とすると「折檻家?」の意味にもとれますが、「近衛天皇(保元の乱だったか)」も藤原系な様です
中国では「ホーゲの乱」日本では「保元の乱」とされますが、おそらく同じ歴史で、工作員が捏造したと思われます。

・藤原氏の子孫は今も健在!摂関家「五摂家」を分かりやすく説明 | 歴史スタイル https://rekishi-style.com/archives/562

摂関家は最上位藤原家から「五摂家」に分かれたという。近衛家、鷹司家、九条家、二条家、一条家で
近衛家は五摂家筆頭だが
現在「日本赤十字社」の現社長で、国際赤十字社 赤新月社連盟会長をしている。
現在の近衛家は、近衛文隆で血筋が絶え、母方の兄弟が跡を継いだ

近衛文麿は、内閣総理大臣を三度務めたが
「日中戦争を悪化させ日本を太平洋戦争へ引きずり込んだ人物」だそうです
「文麿」「文隆」の名前からして「フン族」ではないでしょうかm(_ _)m

ネット情報
ランキング順(多い順)とのこと

望月(もちづき)
若月(わかつき)
大月(おおつき)
香月(かつき)
秋月(あきづき)
月岡(つきおか)
岩月(いわつき)
上月(こうづき)
五月(さつき)
高月(たかつき)
塩月(しおつき)
月田(つきた)
植月(うえつき)
法月(のりづき)
五月女(さおとめ)
月野(つきの)
野月(のづき)
卯月(うづき)
月館(つきだて)
月原(つきはら)
月森(つきもり)
石月(いしづき)
月井(つきい)
月足(つきあし)
稲月(いなつき)
月山(つきやま)
月村(つきむら)
伊月(いつき)
云々


望月氏の次に多いのは若月氏
※オリックス「若月健矢」選手を見ると、やはり若月氏も「月姓ではないのではないか」と感じます…
「タングート族」?ではないかと推測しましたが

歴史に秋月氏、月岡氏(画家)等出てきますが、いずれも歴史記述にある月姓は「違う血筋」だったので
上位の月氏は、本来の血筋とは違うんじゃないでしょうか
私たちは武家や画家でなく、農家だったり養殖などし食糧は生産する定住民だったのではないでしょうかm(_ _)m

「摂関家」は「折檻する」という意味だと推測していますが、では「マルキ・ド・サド」が語源のサディズムを調べてみたいと考えています
漫画「マルクス資本主義」というのを読んだことがありますが、登場する「金貸しが派遣したスパルタ指導員」「結局借金のかたに、生業残りチーズ屋を奪われた」という「マルクス主義」も気になります。「マーカスの山」という小説?あのタイトルもm(_ _)m

・「丸氏」について調べますと、和邇(ワニ)氏で王仁天皇(朝鮮貴族)「マロ(麻呂)」のようです

丸子部と丸部 http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/marukobe/marukobe1.htm

抜粋
 一方、古代豪族達は、自分たちの勢力の及ぶ範囲の各地で、蘇我、物部、小野、春日など、自己の氏名を地名化している。朝夷郡に隣接する平群郡は、文字通り平群氏一族が移住した土地であり、平久里という地名も残っている。丸氏の先祖についても同じことが考えられる。
 結論からいうと、地名の「丸」は、「丸子連」の「丸」に由来する。この「丸」の字は、形状を表す「丸」ではなく、もともとワニと名乗った氏族が、ワニの音を表記するために採用した「当て字」に過ぎない。ただ、丸をワニと読む特殊な読み方は敬遠されて、無理のない訓読のマロに変わり、ワニ一族が安房朝夷郡に入国した時期には、丸子の読み方はワニコからマロコに変わっていたと考えられる。ワニ、ワニコ、マロコについては細論する必要があるが、その前に、朝夷郡満祿郷という郷名について整理しておきたい。

→それが藤原系グループ「望月系」ではないでしょうか
イコール、折檻家であり、「自分の体一つ作る主」であり「リンチ犯人」マルキ(丸木)ド(ドン?)サド(佐藤?)
彼らは「自爆アリ」のような「快楽と不快が逆転した細胞活動」により異物を排除していく?
世界の言葉は一部共通なのかもしれないです

マルキドサド侯爵→マルキとは侯爵を指すらしい

ネット抜粋
侯爵とは、公爵の下位、伯爵の上位に相当する爵位。近代日本では華族の階級としても用いられたほか、英語でmarquessまたはmarquisと呼ばれるヨーロッパ各国の爵位や、ドイツの爵位としてのFürstの訳語にも充てられる。古代中国の爵位の第2位。

→日本では明治華族のことで、マルクスじゃないでしょうかm(_ _)m
まとめ
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