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2018年04月25日16:29

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俺も利用するぜ!!

ももクロも愛する「山田うどん」が埼玉の県民食になった理由
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1803/27/news026.html#utm_source=msn&utm_medium=feed&utm_campaign=20180425-005&utm_term=business&utm_content=rel1-00

 埼玉県民のソウルフードと称される「山田うどん」。地元では親しみを込めて“ダウドン”または“ヤマウ”と呼ぶ。黄の地色に赤のかかしがトレードマークだ。県内の幹線道路をドライブしていると山田うどんの回転看板が目につく。

 昨今流行しているコシのある讃岐うどんとは異なり、麺は軟らかい。どこか、懐かしさを感じる味わいがある。うどんは1杯280円(税込、以下同)だ。ボリュームたっぷりの丼やカレーとのセットは600円台。毎日でも通える価格も魅力だ。
チェーン全体の店舗数は167店(2018年3月現在、以下同)。そのうち約半数の87店が埼玉県内にある。県外では、東京都、神奈川県、千葉県、群馬県、茨城県、栃木県と関東圏に店舗が広がる。東京都23区内には蒲田店と新業態の「山田うどん食堂」が五反田にあるだけだ。23区外では、ロードサイド店が発達している八王子市あたりまで来るとポピュラーなチェーンである。神奈川県では横浜市や川崎市には1店もない。相模原市や藤沢市あたりの国道16号線より外側の郊外に出店している。今回は、山田うどんがなぜ埼玉の県民食と言われるまでに成長したのか。その軌跡を追っていきたい。

山田うどんの創業は1935年にさかのぼる。同チェーンを展開する山田食品産業の本社がある埼玉県所沢市一帯は、小麦の産地。小麦から地粉をひく製粉工場を設立し、うどん屋などに販売していた。その後、製麺所も併設するようになった。

 戦後、高度成長が続く中、もっと商売を大きくしようと64年に工場を拡張して県内随一の製麺工場となった。扱う麺も北多摩・入間地域に伝わる生麺のうどんから、一般的な軟らかいゆでうどんに切り替わっていった。

 しかし、スーパーマーケットや病院などに営業に行っても、安値で買いたたかれ芳しい成果を上げることができなかった。

 これでは借金をしてまでうどん工場に投資したかいがない。最低限の利益を確保するためには自分でうどん屋を出すしかないと決断した。65年、所沢市内にうどん専門店をつくった。66年には、本社の隣にドライブイン形式の店をオープン。それが山田うどんの始まりだった。つまり、会社を存続させるための窮余の策だったのだ。

 当時、一般的なうどん1杯の料金は約70円だった。山田うどんは半額の35円で売ったので、人気が爆発した。中間流通を通さないので、大胆な価格を訴求できたのだ。

 山田うどんの成功を聞きつけたキッコーマンが売り込みをかけ、共同開発してできたのが、しょうゆ味の強い関東風のダシとつゆ。味のベースがしっかりしたのも売り上げに寄与した。

 また、埼玉西部にある所沢市、新座市、朝霞市、狭山市の学校給食に納入を開始。かかしのマークが印刷されたビニール袋に入ったソフト麺が子供たちに親しまれた。これが県民食として意識されるきっかけになったのだろう。

 山田うどんのお祭り騒ぎのごとき繁盛ぶりを見て、幹線道路沿いの土地を余らせていた近所の農家たちが自分たちも開業したいと考えた。そこで、山田食品産業はノウハウを教えて、のれん分けのような形で次々に新店舗をオープンさせた。激安を武器にことごとく繁盛店となり、一気に山田うどんは埼玉県内だけでなく関東圏に店舗を拡張した。
のれん分けをした店舗にうどんを卸し、工場の製麺機はフル回転状態になった。うどんは面白いように売れた。70年代半ばの最盛期には280店にまで増えた。

 勢い余って75年にはニューヨークのマンハッタンにラーメン店「TARO」をオープンする。だが、アメリカに和食ブームは到来しておらず、撤退することになった。銀座にアメリカンなラーメン店「カントリーラーメン」を出していた時期もあった。

 かかしのロゴマークは、童謡「案山子」の歌詞にある「山田の中の一本足の案山子」に由来する。かかしの回る看板は、70年代後半に当時の山田裕通社長(現在の裕朗社長の父)がアメリカを視察した際に、ケンタッキーフライドチキンのカーネルおじさんの回る看板を見てひらめいた。

 埼玉の県民食としての地歩を固めていた山田うどんだったが、この頃からすかいらーくをはじめとするファミリーレストランが台頭したため、次第に劣勢となっていった。

 そこで、売り上げ回復のためにご飯ものを投入した。特に、丼やカレーとうどん・そばのボリュームたっぷりのセットが男性客に受けた。男性会社員、トラック・タクシーのドライバー、とび職やタイル職人などが主要顧客になった。ファミリーレストランは内装がきれい過ぎて、男性だけでは入りにくいと感じる人も多かった。ドライブインの店がどんどんなくなり、車で移動して働く男性はランチ難民になっていた。山田うどんは彼らに救いの手を差し伸べたのだ。

 これ以降、山田うどんはうどん屋というよりも「ご飯ものとうどんのセットが最も売れる食堂」という業態となった。

 のれん分けのような感じでフランチャイズチェーンになっていた店を買い取って、直営化していったのもこの頃からだ。農家のオーナーが家賃収入を得る契約へと変更していった。そうした経緯があるので、山田うどんの店舗は好立地にあっても全般的に家賃が安めだ
ご飯もので一番の人気メニューは「かき揚げ丼」。かき揚げをうどんのつゆと卵でとじた「揚げ卵とじ丼」とも言うべき商品で、B級グルメ感にあふれている。山田うどんを象徴するメニューだ。

 山田うどんではラーメンを390円から提供している。日高屋や幸楽苑と並ぶ安さだ。シンプルで懐かしいしょうゆ味を基本としていることでも3チェーンは共通している。

 なぜラーメンを出すようになったのか、次のような経緯がある。

 7〜8年前に丸亀製麺の店舗が本社近くに出店した。本社に併設する本店の客数が減り、このままでは「面目丸つぶれ」という危機に陥った。対応策を巡り、幹部たちは連日のように議論した。そこで「ラーメンを出したらどうか」という提案が出た。安易過ぎると疑問視する声が多かったが、結局このプランでまとまった。

 実際に提供してみると客足が戻ったので、全店のグランドメニューに採用された。かき揚げを入れて「天ぷらラーメン」にする常連もいるそうだ。サイドメニューでは、うどん屋なのに餃子がメニューにある。6個250円とこなれた値段なのでもう1品加えたい客に人気がある
もつ煮込みの「パンチ」が名物

 山田うどんには定食やサイドメニューで提供される「パンチ」なる名物が存在する。要するに「もつ煮込み」だ。かつてはタダ同然だった豚のもつを、こんにゃくやメンマと一緒に、甘めのしょうゆベースで煮込んだものだ。

 このパンチの人気が再燃している。“ももクロ”ことアイドルグループ「ももいろクローバーZ」が、コンサート前の景気づけに食べることが知られたからだ。

 ももクロのマネジャーが山田うどんでアルバイトをしていた縁で、メンバーも親しむようになった。ももクロが09年に発売したインディーズデビュー曲は「ももいろパンチ」。タイトルにパンチの名が刻まれている。
「“モノノフ(ももクロファンの名称)”にはおじさんが多くて、山田うどんのファン層と合致していますね。ももクロのラジオ番組のスポンサーをさせていただいたり、コンサートに出店したりと親しくさせてもらっています」(山田食品産業営業企画部・江橋丈広部長)。

次々と新業態店をオープン

 12年には北尾トロ・えのきどいちろう両氏の共著で『愛の山田うどん』(河出書房新社)が出版された。山田うどんの根強い人気を実感し、近年では東京都心部に再度攻め込むための実験店を相次いでオープンしている。

 1つは17年1月、五反田TOCに開店した「山田うどん食堂」だ。これはうどんと定食の店で、丼などとセットになるうどんをミニサイズにしている。山田うどんでは定食のうどんをフルサイズで提供しているが、ビジネス街ではそこまでの量は要らないと判断した。麺もゆでてすぐ急速冷凍する新しい製法を取り入れており、ゆで立ての食感がする。スープもダシを強めにして柚子の香り付けをしている。この新業態の評判は上々で、出店場所を選んで増やしていく方針だ。

 もう1つは、17年12月に東京都清瀬市の西武池袋線清瀬駅前に出店した「県民酒場 ダウドン」だ。山田うどんのパンチや餃子はちょい飲みに最適と言われていた。だが、客が車で来店する郊外店が多かったために広がらなかった。

 駅前や都心の立地を想定した大衆酒場を新規開発したことで「ちょい飲み」「がっつり飲み」をしたあとに、うどんでシメるスタイルが広がる可能性が出てきた。パンチ、餃子、埼玉の地酒、4種のレモンサワー、酒のアテにもなる焼きうどんや鶏カラ天(鶏肉の天ぷら)など、独特なメニュー構成も魅力だ。

 麺は五反田と同じ急速冷凍タイプを使い、昼間はうどん食堂として営業している。

 「埼玉の魅力を伝える店というニュアンスを、県民食堂のネーミングに込めました」(江橋氏)との自信作である。
山田うどんがさらに成長するためには潜在顧客の獲得が課題になるだろう。全ての人がコシの強い讃岐うどんを好むわけではない。駅前で立ち食いそばのように気軽に食べたいというビジネスパーソンや学生は一定数いるはずだ。新業態の山田うどん食堂や県民酒場ダウドンのほうが支持されるかどうか精査が必要だが、駅前立地に未開拓ゾーンが残されている。

 昭和の雰囲気を色濃く残しつつ、ももクロとモノノフにも愛される現代性を持つ山田うどん。衰えぬチャレンジ精神によって、埼玉の県民食たる地位をこれからも保ちつつ、さらに成長することを期待したい。



ダウダウ・・・


俺もよくいくぜ!山田うどん・・

なんかいい・・山田うどん・・

雰囲気がいいだよね・・庶民的で・・
店員もおばちゃんが多くて、なおいい・・


埼玉は当たり前だが北多摩地区も近いせいで多い




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