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2018年04月23日18:40

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王道を継ぐもの

ジャイアント馬場さん夫人・元子さん死去 全日本プロレス元社長
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=5082996

亡くなられた元子夫人とジャイアント馬場との間に子供はいなかった。それゆえに、全日所属のレスラーで特にかわいがったものを「養子」に迎えようとした例がある。あの大仁田厚にしてもそうだし、後年大きな確執から団体を飛び出した三沢光晴ともそうだった。
旧全日がノアに分裂した経緯を追っていくと、もともと夫人は全日の経営の中枢部で「ジャイアントサービス」と呼ばれる選手のグッズやロイヤリティを管理する別会社を経営。この会社の経理は全日とは別会計で、収益はすべて馬場夫妻の懐に入るようになっていた。
巡業に帯同し、全日の運営にも強い発言権を持っていたが、馬場の死後、特に99年の後楽園大会での「川田VS高山」の不穏試合(シュートマッチだと言われる)の内容に不満を持ち、これ以後三沢社長にオーナーの立場から意見を言うようになる。
三沢政権下の全日では、馬場政権では行われなかった改革(マッチメイク 試合演出など)を断行しようとしたが、オーナーの立場の元子夫人は「それは馬場さんのやり方と違う」と突っぱねるようになり、さらに当時の選手は最低限の保証や保険しかなく、馬場が生きていた頃なら彼のポケットマネーで補填していたが、亡くなって以後はそれもなくなり、困窮するレスラーもいた。待遇面での不満や改善されない経営に絶望した三沢とリングアナの仲田龍は独立を決断、人望の篤い三沢についていくように川田・渕以外のほぼすべてのレスラー・フロントが離脱して新団体「ノア」を旗揚げする
以上が、旧全日の分裂の経緯です
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