mixiユーザー(id:31644945)

2018年04月22日14:24

2873 view

『自己責任論「予言」した高畑監督 30年前、「火垂るの墓」公開当時 2018年4月22日05時00分』

 5日に亡くなったアニメ監督の高畑勲さんの代表作「火垂(ほた)るの墓」。戦争に翻弄(ほんろう)され、悲しい最期を迎える兄妹を描いた作品だが、主人公の行動に対して「自己責任」論のような見方が生まれている。一方で、こうした批判を見越したかのような1988年公開当時の高畑監督のインタビューが「予言めいていログイン前の続きる」と注目を集める。

 死去を受けて13日、日本テレビ系で「火垂るの墓」が放映された。ネット上には戦争のむごさを改めてかみしめる感想が並ぶ一方で、悲劇を招いたのは「自業自得」というような言葉も目立った。

 主人公・清太と妹の節子は、父親の出征中に空襲に遭い、母親を亡くす。親戚のおばさん宅に身を寄せるが食事の内容に差をつけられたり、「疫病神」と嫌みを言われたりすることに耐えられず、横穴で2人きりの生活を始める。しかし、節子は栄養状態が悪化し、やせ衰えて死ぬ。

 「我慢しろ、現実を見ろ、と冷淡な意見が多くて驚いた」と映画ライターの佐野亨さん(35)。戦争で理不尽な状況に追い込まれた、弱者であるはずの清太の問題点を強調する風潮が気になった。

 自己責任の賛否を巡るネット上の応酬の中で脚光を浴びたのが、公開当時に「アニメージュ」誌(徳間書店)に掲載された高畑監督のインタビュー記事(88年5月号)だ。

 監督は「心情的に清太をわかりやすいのは時代の方が逆転したせい」と語る。清太の行動は現代的で、戦争時の抑圧的な集団主義の社会から「反時代的な行為」で自らを解き放とうとしたと、観客が共感できると考えていたとうかがえる。一方で、こう続ける。

 「もし再び時代が逆転したとしたら、果(はた)して私たちは、いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。清太になるどころか、(親戚のおばさんである)未亡人以上に清太を指弾することにはならないでしょうか、ぼくはおそろしい気がします」

 公開から30年、日本ではいたるところで自己責任論が起こり、時代を反映して映画の見られ方も変わってきた。佐野さんは「戦時下の混乱のなか、自分が清太だったらどんな判断ができるのか。そういう想像力の欠如が弱者へのバッシングにつながり、全体主義をよみがえらせかねない。高畑監督はそこまで予見していたのでしょう」と話す。(宮本茂頼)

https://goo.gl/2g99aN より引用
画像などのコンテンツは、リンク先でご覧ください。
7 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年04月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930