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2018年04月20日17:44

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母親が生き返る夢、胡蝶の夢

今日は母親の誕生日。生きていれば83歳です。
とはいっても、特別にやるようなことは何もないのですが……。

そんなことを考えていたら、これまでに見た、母親の夢について記録しておきたいと思い立ちました。

夢というのは記憶に残らないことが多いのですが、ちゃんと記憶に残っているのが4つほどあります。

1つ目は、母親が入院していた時の夢で、mixiでもつぶやいています。

  面会に行ったら、母親の意識が回復していて、こちらの話に反応する
  ように。「良かった良かった」と喜んでいたら……目が覚めた。
  2〜3日前に見た夢ですけど、夢の内容でへこむのは初めて。夢なんて
  見るもんじゃないですね〜。(笑)(12月03日)

2〜3日前と書いているので、12月1日前後だと思います。
もう少し細かく書くと、ボクが行ったのは病室ではなくてリハビリ室。その前の記憶はないのですが、リハビリ室に入ると、そこで母がリハビリをしていました。それで「もう話せるの」みたいな会話になったのですが、喜んでいたら目が覚めてしまいました。母親がリハビリ室を使うことは一度もなかったと思いますが、なぜだか夢にはそこが出てきました。当然ですが、この12月上旬の時点では、母親が死ぬなんて夢にも思っていません。

2つ目は、12月30日の朝に見た夢です。
自宅1階の和室に安置していた遺体が息を吹き返すという夢ででした、声をかけると返事が返ってくるので、「こうゆうことって本当にあるんだ」と思っていたら、目が覚めました。
ちなみに、母親の遺体を和室に安置していたのは、死亡日の12月16日から通夜の19日までなので、30日の時点では葬儀も火葬も終わっています。
仏壇に置かれた遺骨を見ながら、生き返るなら遺骨になる前にしてくれよ……みたいなことを思いました。

3つ目は、1月の下旬、23〜25日くらいの頃です。
どういうわけだか、自宅2階の母親の寝室に母親が寝ていて、その母親が急に「ご飯が食べたい」と言い出しました。で、「しゃべれるの? 食べられるの?」ということで、お粥か何かを出したら、上半身を起こして食べ始めたので「良かった良かった」と……。食べている途中、母親がよろけることがあって、「気をつけろよ」などと言いながらボクが身体を支えました。母親は笑っていたし、ボクも笑っていました……。

4つ目は、1/28の四十九日の数日後だったので、30日とか31日くらいの頃。
ベランダにいると部屋の中から母親の声がするので見てみると、母親が普通に話をしています。「生きているの?」と何度も聞きましたが「生きてるに決まってるじゃないか」などと言って笑っています。「じゃあ、今までことが夢で、こっちが現実なのか」と思って、自分自身に向かって「これは夢じゃないのか」と何度も自問自答したのですが、どうやら夢じゃなさそうです。それでもやっぱり信じられないので、しつこく何度も自問自答していたら、目が覚めました。

4番目の夢は、夢の中で「これは夢じゃないのか」と疑いを抱いている点が実にユニークで、過去に経験がありません。と同時に、夢の中で「夢じゃないのか」と疑問を持っても答えは出ない、ということもわかります。荘子の「胡蝶の夢」みたいな話ですね。どっちが夢でどっちが現実なのかわからない――という説話。

ただ、夢というのは数時間後には覚めるわけで、「胡蝶の夢」の話は大げさでしょうね。こうして数か月前の出来事を、記憶に基づいて日記に書いている今のボクの方が現実なんでしょう。もちろん、人間の人生なんて終わってしまえば夢のようなものだ、と言われれば、そうだと思いますが……。

2月以降も、何度か母親の夢を見ているはずなんですが、ストーリーを成しているような夢は1つもありません。一緒に電車に乗っている夢を2月か3月に見ているのですが、前後のストーリーも会話も、目が覚めた時点でまったく思い出せませんでした。

まあ、母親が生き返るような夢は、1月末の4回目で打ち止めになったのかな……なんて思っています。

――母親が亡くなってから4か月、入院して、自宅からいなくなってからだと5か月。少しずつですが、母親がいない日常に慣れてきてます。ただ、今でも、生活をしていく中で、敗戦処理のピッチャーみたいな気分は抜けません。

もちろん、冷静に考えれば、ボクの残りの人生が全部「敗戦処理」になるわけじゃありません。しかし、(自分や母親の)人生の後始末みたいなことは、これからも考えなきゃいけないだろうし、こういう感覚がゼロになることはないだろうな、と思っています。


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