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2018年04月16日05:35

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ネット社会の進展がコミュニケーション能力を阻害している。

■「教科書が読めない」子どもたち 教育現場から見えた深刻な実情
(AERA dot. - 04月15日 07:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=5071487
スマホは関係ない、といっている人がいるが、スマホというツールの脳への影響もあるし、それだけではなく、ネット社会の進展が、もともと持っていた人間の、家族の、コミュケーション能力を阻害しているということで、それこそ読解力が足りないとこういうニュースもいっている意味がわからないのだ。

教科書が読めない、というのはもう20年も小中高生に勉強を教えてきた私がこの10年感じてきたことで、その現象は昔から何度もいわれてきた『文章題が苦手』なこととは根本的にちがう、と思って来た。だから昔は、読書量を増やせば解決するといわれて、幼児期からの読み聞かせや、小学校低学年からの読書の重要性がいわれてきて、だから小中学校には読書週間やら、朝の読書の時間が設定されてきた。ところがいまの子供たちは、読書どころか教科書すら読めない。読めても意味するところが理解できない子供がこの4、5年異様に増えてきている。

語彙力が極端に足りないのと、もっと問題なのは文章によって想像すること、予測することができないのである。もちろん読書体験もほとんどない。読書体験というのはただ本を読んだことがないということではない、本は読んだことがある、だがそのことによって感動した、ショックを受けた、心が震えたという経験がないのだ。5年まえから私は国語が苦手という生徒には最初に、小川未明の『金の輪』を読ませている。2、3ページあるかないかの超短編、5分もかからずに読める、しかしこの作品は、『日本ファンタジーノベル傑作選』とかのアンソロジーには必ず入る傑作で、ただの児童文学では終わらないのだ。

みな最後の一文を読んで呆然となる、そして私はいろいろな質問をして、この小説について対話をする。小川未明という作家が困窮のなかで自分の幼い子供を2人も亡くしたあとに書いた作品だという話をすると、みな、え!という顔になる。こういう経験が本当の読書体験であり、読解力に結びつくのだ。

スマホに夢中になっている子供たち、だけではなく赤ん坊が泣いているのになんの反応もせずにスマホに夢中になっている若いお母さんを見るたびに、ますます日本語力は衰退していくのだろうな、と危惧する。そして4人家族なら一家に4台、月に4万ぐらいはかかるだろう出費と比例して家族のディスコミュニケーションも増加しているのだろう。

それが珍しいことではなく、日本のどの家族にも起こっていることで、犬のお父さんがなにをいっても、三太郎が楽しくても、確実に家族の距離は遠ざかっている。

もちろんだからといってネット社会をやめろというのはいまさら無理で、いかにそのなかで、コミュケーション能力を磨いていくかの問題になる。その責任は子供たちにではなく、当然大人たちにある。

せめて家族でご飯を食べてるときはスマホを、ラインを、やめることから始めるしかない。幼児からの絵本を読み聞かせも、効果がないとはいわないが、焼け石にかける水ぐらいの効果しかない。

じゃあ、どうする?親にできることは、子供たちを外へ連れ出す、自然のなかでもいいし、博物館でも映画館でも美術館でもいい。そこで味わう感動はスマホのなかの世界とは比較にならない。そういう感動を少しでも積み重ねていくしかないだろう。

あと、もちろん読書は大切だが、子供に本を読めというのなら、親も読まないと子供は読みっこない。最初から世界や日本の名作を押し付けるよりも、私はいつも古典的推理小説やホラー小説、SFを薦めている。名探偵コナンは知っていても、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズなんて知らない子供は珍しくないし、エドガー・アラン・ポーも、江戸川乱歩も知らない。19世紀のイギリスの怪奇小説には傑作が多いし、SFの古典としては、H・G・ウエルズがいる。そういう初級をやったあとに、芥川の短編とか、漱石へ進む。高校の現代文にはもう何十年も、漱石の『こころ』に、中島敦の『山月記』が載っているが、本当に理解し、感動した生徒がどれだけいるか?

つまりこの状況を変えていくには大人たちの新しいセンスと努力が必要であって、親がスマホ依存だとそれこそネット親子心中で、ますます状況は酷くなっていくだけだ。


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