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2018年04月15日06:09

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すんげ短い日記


先ほどのに続き、またも、云々。

昨日は楽しかった。ちっちゃい「つ」が言えないマイウサギ的には「楽しかたー」。
詳細はおいおいレポートするとして、その前振りで、ちょいと。

「人生なにが起きるかわからない」

よく耳にする言葉。うむ、それなりに齢を重ねた人ならば、腑に落ちるだろう。リアルで。
今が幸せであり、日々充実している人にとって「なにが起きるかわからない」は不吉な言葉。だって、はあ、なにも起こってほしくないじゃないですか。
今のままが続いてほしい。こげな感じが。競馬でいうと「そのまま!」ですな♪
*解説しよう。たとえば京都外回り3,200mのレースで1番と10番の馬連(1着2着:順不同の馬券な)を買っていたとする。で、ゲート開いた瞬間ポンと飛び出したのが1番10番。そのとき人は、往々にして「そのまま!」と叫ぶ(笑) ゴールまであと3.2kmあるのに♪

いっぽう、不幸な人にとってはどうか。
同じ言葉が、光明にもなる。「人生、なにが起きるかわからない」。キーラツ♪
彼や彼女は、この言葉に明日を賭けるのだ。競馬でいうなら(またかい)
「差せ差せ差せ!」
と人は叫ぶ。
*解説しよう。京都そとまわり・・・はもういいから。前の馬を後ろの馬が(直線、ゴール前で)かわすことを「差す」といいます。以下同文。

ことほど左様に、同じ言葉が、人によってまったく逆の意味を帯びる。

言葉は面白いし、恐ろしい。

それでも、幸せな人不幸な人それぞれに、言葉が光彩を放つのは確かだ。そこにこそ、言葉の値打ちがあるんじゃなかろか。ばってんがくさ。

話はもそっと続きます。
自分は耶蘇・伴天連である。妖術使いまっせ。たぶらかしまっせ。
クリスト教徒は「復活」を信じておる。主イエス再臨し、信長公も信玄公も、(たぶんいないが)神武天皇も、あるいは漱石や俺、生ける人も死にたる人も復活し、最後の審判が実施される。そこで「はい、漱石君は天国ね。スパイス君は当然地獄行きっしょ♪」と、神様が決めはる。

決めはるのはええねんけど − って、しゃあないが − 問題は「復活」。

自分は幸いにして鬱と高血圧と糖尿病、左肩にゃボルト入ったまんま、上の歯がほとんどないから部分入れ歯・・・きりがないからこの辺で許したる(!)が、ま、五体満足だ。
でも手や足がない人、目が見えない耳が聞こえない人、重い障害を抱えている人にとって復活は、希望なのである。この気持ちは、俺ごときには決してわからないだろう。
*「スパイス君、そげなことを考えてみ?」と言ってくれたのは、母教会の前々前任牧師、I先生。

(人のことを)想像してみろ、とは言わん。言うが。←どっちやねん
要は、同じ言葉・同じリアルが、万人に降りかかる。これ、はたして幸甚か苦難か。
それはそのときの状態によって(あるいは己の心持)によって異なるだろう。よしんば2千万の貯金を持っていようと同額の借金をかかえていようと。
ただ・・・マイミクさんのマイミクさんが言っていた。

「人生、その人に必要なことと、良いことしか起こらない」

Yes,I do. 自分はここに(こそ)神様の恩寵を覚える者である。ぴょんちー♪

・・・。

なんやオッサン。結局めっさ長いやんか。(-"-)
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