わかかりし頃のハービー・ハンコックがある日、NYのコロンビア・スタジオに出勤すると、おっさんが言いました。
「おまえ、きょうからこれな」。与えられたのはフェンダー・ローズ。エレクトリックピアノである。
「え”。マジっすか」
それはちょっと。。。と口ごもるハービー。だが、口に出すわけにはいかない。
なんたって相手はおっさんである。大先輩である。しかも帝王マイルスである。そしてハービーは若かった。
大好きなスタインウェイから引き離され、フェンダーローズを弾かされできたのが、『マイルス・イン・ザ・スカイ』。いまから50年前の、電化マイルス初アルバムである。
*メンバー自体に変動はなし(すなわちセカンド・クインテット)。ただ、電化した。
*ベーシストのロン・カーターは、エレクトリック・ベースにもっと抵抗感があったようだ。ハービーが以後好んでエレピを用いたのに対してロンは、マイルスグループを離れるや否やウッドベースに戻している。
本盤の特徴は、前作(マイルス最後のアコースティック・アルバム)『ネフェルティティ』(1967)と比べることで、際立つかもしれない。
このアルバムの特徴は”反復”。表題作:
ではじまるが、『ピノキオ』はその返歌・変奏曲であり、これを最後にもってきたことでアルバムは円環を閉じる。そしてアコースティック・マイルスの終わりを告げる。
◆ピノキオ
で、”イン・ザ・スカイ”。
ハービー(や、ロン)に命令したわりには、おずおずと手探り状態で始めるあたりが、おっさんの可愛いところか。
いっぽうトニーは何ら気にせずスタタッと華麗なステップを踏み、ショーターのテナーは艶っぽい(*)。
*彼のソロはしかし、コルトレーンとは異なり「いなたさを、内に」秘めている。
◆スタッフ
もうひとつの聴きどころはジョージ・ベンソンが参加したこの曲。
クラプトンみたく後年はいかがわしい歌うたいに成り下がった彼も、この頃は真面目なギタリストだった。
ああ、それにしてもトニーの太鼓の、なんとイカす(それしか言えんのか)ことよ。いつもながら。
◆パラフェルナリア
マイルスはなぜ電化したのだろう。
のちのベティ・デイヴィス − 当時はメイブリー − と出会ったから、という説もある。ベティは22歳、マイルス41歳。
彼女が常連だったブロードウェイ90丁目のクラブ『セラー』でファンクやソウルミュージックを連日のように浴び、彼女の言によると
「マイルスは、それまではストラヴィンスキーやラフマニノフしか聴かなかったのが、ジミ・ヘンドリックスにスライ、オーティスばかり聴くようになった」
ファッションも変わる。ブルックス・ブラザーズのスーツを脱ぎ捨て、レザージャケットやベルボトムのジーンズに。
服装の乱れは非行への第一歩♪ おっさん、かわゆ。
だが実際は、映画『卒業』のサントラを手掛けるなどした敏腕プロデューサー、テオ・マセロとの出会いが大きかったようだ。彼は往年のチャールズ・ミンガス『直立猿人』(狂ってる!)にも参加していたし、その幅広さと音楽的なイカれぶりが、マイルスに多大な影響を与えた。
(マイルスとジミを引き合わせたのは、”悪名高き”プロデューサー、アラン・ダグラスという説がある。彼もまたS&Gを手掛けていた)
そんなことを含めえの、時代ですね時代。ロックンロール全盛の頃だもんね。
電化マイルスは爾後ガシガシ進化していくのだが・・・それはまたにして、
・・・
浦沢直樹は、”インザスカイ”のジャケにインスパイアされたんだろうか。
『20世紀少年』 の「ともだち」(ジョージ・オーウェルでいえばビッグブラザーみたいなもん?)の造形、似てるよね。このジャケに。
ログインしてコメントを確認・投稿する