デキる人が持っている「知性」の正体とその身に付け方
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=112&from=diary&id=5065258これはひたすら、古典と言われる東西の文学を読むことでしょう。
中学・高校・大学時代、僕はそれを実践しました。
「高学歴と知性は必ずしも一致しない」、
もうずいぶん昔から言われてきたことですが、
現代ではこの傾向はさらに甚だしいものがありますね。
有名大学の大学院を出ている若い衆(中年の衆)でも、
基礎的教養の欠落に、こちらが愕然とする場合があります。
これは実際の体験ですが、うちの高校に国文科出身の女の子が
国語教師として赴任してきました。
専攻は大鏡や徒然草などで知られる上古文学だそうで、
いかにも奈良女子大らしく隙のないプライドを感じさせる才媛です。
職員室である日の放課後、数人で雑談をしていたとき、
同僚の社会科教師が、数学教師の素朴な質問に詰まりました。
僕は冗談めかして、傍にいた国文女史に
「問ひ詰められてゑ答へずなり侍りき(徒然草第243段)ですね」
と話を振ったところ、彼女は一瞬ドギマギして、
それこそ「ゑ答へずなり侍りき」の風情でした。
英語専門の僕に予想外の話を振られて狼狽したのでしょう。
それから何となく彼女は僕を避けるようになりました。
このように、例え専門領域でも無知である、
あるいは、肝心な領域にぽっかりと穴の開いた有名大学出身者、
いわゆる「高学歴無教養」の人は幾らでも見かけますよ。
でも彼女はまだ救われる部類でしょうね。
最近では無知蒙昧を晒け出して、恥とも思わない人が増えました。
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