シベリア抑留 114人銃殺刑判決
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=50638521917年から1990年まで73年間、ロシアを支配した共産主義が、
如何に人間そのものを破壊し、国民を劣化させてきたか、
これもその一つの例証であると言えます。
NHKのドラマ「どこにもない国」でそれは描かれていましたが、
現実はあんな生易しいものでなかったと誰しも知っていることでしょう。
満州在住の日本人は、男は手当たり次第に殺され、
女は少女から老婆に至るまで、片っ端から強姦されました。
満州引き上げ者が、当時の状況を口をつぐんで語りたがらないのも、
あの地獄の毎日を思い出すからで、当然すぎる話でしょう。
今になって「114人の銃殺」などという書類が出てきても驚きません。
実数は、これの数十倍あるでしょうから。
さて、共産主義がなぜ人間を破壊するシステムかという理由は明らかです。
彼らが権力掌握後、早速やったことは「家族を破壊すること」でした。
その次に「地域コミュニティの破壊」が続き、
生まれた子供は、国家が一元的に管理し、
コミュニティはコルホーズという労働者・農民の集団に編成されました。
こうして人間のつながりはバラバラにされ、
その代替物として、国家への一方的忠誠を誓わされたのです。
1949年後の支那大陸でも、同様の人間破壊システムが生まれました。
1970年代にはカンボジアで同じ人間破壊が行われました。
つまり、人間破壊は社会主義のDNAなのです。
言い換えれば、これは国家権力による大規模で、周到な「愚民化政策」でした。
それまでの時代の領主、資本家、大地主の「理不尽」に取って代わり、
国家による一貫した「理不尽」が70数年間もロシア人民を支配すれば、
そりゃ人間が徹底的に破壊されるのも無理はないじゃありませんか。
もちろん、ロシア革命以前にもフランス、ドイツ、イギリスなどには、
「階級差別」「貧富の格差」という、大規模で醜悪な理不尽が罷り通っていました。
しかしそれらの理不尽が齎す「人間破壊」から、辛うじて人々を守ってきたのは
家族であり、地域コミュニティに他ならなかったのです。
まず、フランスで人間破壊の革命が起きました。
1789年のフランス革命です。
だからフランス人は現在でもどこか人間的におかしいのです。
彼らの真黒な利己主義には、我々日本人はとてもついてゆけません。
フランス恐怖政治が齎した人間破壊のDNAは、
第一次大戦後のロシアに受け継がれ、
社会主義という人間破壊のシステムが誕生し、
更にナチスの「国家社会主義」がそれを模倣しました。
ナチスも、生まれた子供を国家が管理していたことを考えれば、
社会主義と国家社会主義が、双子の兄弟だって判るじゃありませんか。
だから御覧なさいよ、実にはっきりしてるじゃありませんか。
ゲーテ、ベートーベン、シラー、トーマス・マンを産んだドイツに、
戦後、どのような芸術的・哲学的天才を輩出しましたか?
誰一人いないでしょう、皆無じゃありませんか?
ノーベル賞では確かに功績をあげましたが、
新たな哲学を編み、世界観を創出した例を、僕は知りません。
つまり、あれだけの国家国民を巻き込んだ罪を犯した民族には、
その資質も資格もないということなんですよ。
実際、フランクフルトに在住している知り合いの日本人女性は、
「この国には神経症的な潔癖症以外、『文化』と呼べるものはない」
とまで言い切っています。
やはりドイツでも、人間破壊は深刻な後遺症を残しているのですよ。
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