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2018年04月01日17:18

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マリア・パヘス&シディ・ラルビ・シェルカウイ DUNAS

2018/3/31土 14:00- オーチャードホール

シェルカウイの創造力にまた打たれた公演。面白かった・・・!!!ほんとシェルカウイって天才だと思う。

出演者は、フラメンコダンサーのマリア・パヘスとシェルカウイ、そしてミュージシャン達。ダンス公演ではあるが、動きそのもというより演出で楽しむ作品。

冒頭のシーンは二人の出会いを表現しているのかな。上手と下手に下がっている薄い肌色(きっと砂の色なんでしょうね)の布の真ん中をびよーんと伸ばしながら二人は両端から歩いてきて、舞台のセンターで出会う。

作品全体から明確なストーリーが読み取れたわけではないけど、私が感じたのは、この複雑で行き詰った世界の中で凛と強い生の象徴がマリア・パヘスで、この世界のマイノリティとして孤独感や諦観を持ちながら彼女に憧れリスペクトするシェルカウイ。世の中は閉塞的だけどこういう強くて美しい生もある・・・。シェルカウイ作品に共通していることですけど、根底に「人の哀しさ」というコンセプトがありつつも、決して絶望するのではなく、それも含めて大きくて繊細な優しさで包み込んでくれる、DUNASもそういう作品でありました。(これは勿論、私がシェルカウイに共鳴するのはこの部分であるということで、人によって感じ方は違うと思います。)

ステージセットは何枚かの薄い大きな布と、砂絵の投影、あと、ミュージシャンだけ。これだけなのに、舞台の相が次々と変わっていきます。あるときは布は砂漠、あるときは人と人を隔てる壁。布を使った演出の中で一番面白かったのは人のシルエットを使った演出。舞台にスクリーンのように垂れ下がる布の後ろにラルビが一人で立ち、ステージ奥の左右から強いライトで彼を照らすと、一人の影が二つになります。その影同士がまるでデュエットを踊っているかのような!とてもよくてきてる。

あと、砂絵がとても印象的でした。ステージ下手に大きな演台みたいなものがあり、そこでラルビが両手で砂絵を描きます。それを下から見上げる画角でステージの背景に投影、描いた砂絵がリアルタイムで背景になる。マリア・パヘスの手の先から枝が伸びて、彼女自身が大きな樹の一部になったり。マリア・パヘスがステージを去ると砂絵だけが観客の前に提示されます。胎児、人間の一生(輪廻?)、9.11のツインタワーが出てきたりも。シェルカウイはムスリムですけど、彼の作品からはインド哲学のようなものも感じることがあって、そこもとても好きなんだよなあ。ラルビが両手で実に起用に砂絵を描く様子を見て多彩さに驚きましたけど(そういえばこの作品では歌ってもいた!)、砂に描かれていく線もリズミカルで滑らかで踊っているようでした。

音楽は、シェルカウイらしい民族的な調べ。乾いた砂漠を感じさせる郷愁をそそるメロディ。私はあれに浸るだけで心が動かされてしまうのです・・・。

シェルカウイって、今世界中で超売れっ子の演出家・振付家で、ダンス界だけでなくオペラ界でも名前を見かけるようになってきたし、彼の手掛けている仕事は商業的にも成功しているものが多いのに、彼自身にも彼の作品にもマイノリティな感じがあるのが凄く不思議です(いい意味で)。作品を観ていると精神的なものとエンタメ要素のバランスが本当に絶妙だなぁと思うけど、それがあざとく感じないんですよね。彼の近影を見たり聞いたりするに繊細なメンタリティを持っている人のようで、舞台芸術の世界でバリバリやっていける人にはとても思えないのだけど、いったいどういうお人なのか。もちろん、優れた知性をお持ちなのだろうなというのは作品のあちこちから感じるのですけど。

彼の作品が世界中でこれだけ受け入れられている理由は、シェルカウイ自身の才能もさることながら、今の舞台芸術の世界では、マイノリティの感覚から出てくる何かが新しくて魅力的であると受け取られやすいのかも・・・?アクラム・カーンもそうだし。あるいは、世の中が複雑になり、自分自身もある切り口ではマイノリティであると感じる人が多くなっていて共感を得やすいのか・・・。私は後者かな。

などと、ラルビの天才っぷりにまた惚れ直すとともに、彼の人気の背景について考えを巡らせた公演でした。

シェルカウイの作品は、ヨーロッパを中心にかなり頻繁に上演されています。彼が主宰するEASTMANに公演カレンダーがありますので、シェルカウイ作品を気に入られた方は、欧州に行かれる予定がある際にお近くで上演がないかチェックしてみてもいいかも!
http://www.east-man.be/en/calendar/
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