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2018年03月26日04:44

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暴力の拡散か?それとも、国家による独占か?

■「6分20秒間で…」若者ら演説 銃規制行進に80万人
(朝日新聞デジタル - 03月25日 10:11)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5041641

■はじめに
 今日のように、暴力装置(軍隊や警察、そして、武器)が国家によって独占されたのは、ここ200年くらいのことであり、人類の歴史から見れば「最近のこと」である。
 では、暴力が拡散してAK47のような銃が、映画『ロード・オブ・ウォー』の冒頭のニコラス・ケイジのセリフよろしく「一家に一丁!」という状態になればどうなるのか?
 過去の歴史を見るに「暴力の平等」が実現するのではなく、実は「暴力の寡占」が進行し、お金や資源に乏しい民草が暴力を背景にして今より虐げられるのである。
 近代社会が出現する前の欧州では、国王が暴力装置を独占せず、大土地所有者たる貴族が武器を持たせた私兵を養っていた。このため、民草たる農民たちが不満を抱いたとしても、貴族の私兵による「実力行使」によって「黙らせる」ことができた。貴族の私兵が消えていくきっかけとなったのは、フランス革命期の1792年に生起したヴァルミーの戦いである。この戦い以降、国家によって暴力装置が独占されていき、民草が貴族の私兵に怯えることもなくなった。このことによって、ようやく「法の下の平等」や民主主義が実現可能となったという側面もあるのだ。
 しかし、貴族の私兵が消え失せた後にも、私兵を雇って民草を「黙らせ」ようとした事例が存在する。本日の日記では、19世紀後半の米国の事例と1970年前後の日本の事例を紹介しよう。

1.米国のケース
 欧州よりも広漠な土地と未開拓地をもっていた米国の場合は、少し様相を異にしていた。広漠な土地と未開拓地の存在は、官僚制による(軍隊も警察も、そして、官庁も民間企業も、このシステムで動いている)国家全体の管理を困難にしていた。おまけに自動車や航空機が発明されるのは20世紀に入ってからだし、通信技術も未熟だった。したがって米国では、1930年代に入るまで連邦規模の公警察が無かったのだ!
 では、それまでの間、誰が「連邦警察の代わり」の役目を果たしていたのか?
 答えは、民間企業たる警備業者や探偵業者だった。このような警備業社や探偵業者の中でも代表格であったのがピンカートン探偵社であった。民間企業であるから、公警察とは異なり「お金を支払う人のいうことを聞く」というのが行動原則となる。ほとんどの個人や民草に、このような業者を雇う余裕やお金があろうはずもないため、資本家や企業がピンカートン探偵社の雇い主になる。では、そのようなピンカートン探偵社の警備員は、どのような働きをしたのか?
 確かに犯罪の捜査なども行ったが、当時の労働争議の「鎮圧」へも差し向けられた!近代社会が誕生する以前の欧州においては貴族の私兵が民草を「黙らせて」きたが、米国においては、「警備員=資本家の私兵」が労働者を「黙らせて」いたのだ。この働きによってピンカートン探偵社は「労組潰し業者」の代名詞となり、全米に悪名を馳せた。
 しかし、1882年のホームステッド市(ペンシルベニア州)でのカーネギー製鉄所でのスト鎮圧の際に、ピンカートン探偵社側の不手際から鎮圧に失敗し、数において勝る労働組合員と支援者の前に敗北。負けたピンカートン探偵社の警備員たちは労働組合員と支援者の前で「パレード」の名のもとで晒し者にされた。
 その後、ピンカートン探偵社の悪名によって、米国の各州に「反ピンカートン」法が制定された。その後の1890年代に米国からフロンティアが無くなり、20世紀に入ってからは運輸・通信、そして、捜査技術も発達した。これらの事柄によって、技術・制度の双方において連邦単位での公警察の設置を可能とする条件が整えられていった。かくして、1935年に現在の連邦捜査局(Federal Bureau of Investigation, FBI)が誕生し、ピンカートン探偵社は歴史の片隅へと追いやられることとなった。
 映画『パージ』シリーズにおいて大量の資金と資源を持つ富裕層が、貧しい人びとを殺戮していく様子が描かれているが、それはこのような米国の歴史上の出来事を踏まえてのことであろうと、筆者は考える。

2.日本のケース
 先に述べた米国のケースと似ているのが、実は1970年前後の日本のケースである。
 1962年に日本警備保障(今のセコム)が誕生していらい、日本の警備業は急成長を遂げた。日本の警備業の仕事は、非就業時間帯である夜間に人気の無いビル街の「門番」を務めることであった。
 しかし、警備業者は現在の派遣会社のように「必要な時に必要なだけ」の人数を集めることができるという特徴があった。
 おまけに、依頼主と警備業者との間で取り交わされる請負契約において依頼主は、警備業者が第3者へと与えた損害に対して責任を負わない。例えば、警備員が「第3者」たる他の誰かをケガさせたとしても、その際の責任は警備業者がとるのであって、警備の依頼者は免責されていたのだ。
 この点に目をつけた資本側は、米国のケースと同じく労働争議の鎮圧へと警備員を差し向けた!後述する「警備業法」(1972年)が成立するまで、日本の現代史において一時的に「私警察」が存在し、彼らによって暴力がふるわれたのである。
 警備業者によって特に目をつけられ、警備員の暴力の矢面にった労組は、総評傘下の全国金属労働組合であった。この労働組合は、現在の建設労組や港湾労組や英国の炭鉱労組なみに戦闘的な労働組合であった。
 しかし、このときに警備業者側は間違いを犯した。次の2点を無視していたのだ。

 �\鐐梓�の日本とは異なり、労働者と労働組合の権利は、憲法と労働法規によって保障されていた。
 �∪鐐梓�の日本とは異なり総評などの労働組合の発言力が強く、労組の言い分は日本社会党(当時)などの政党によって国会へと伝達・反映されるシステムができていた。戦前期とは異なり、日本の労組は多大な権力資源を有していたのである。

 これに対して警備業者側の利益を代弁する国会議員もいなければ、全国規模の業界団体すらなかった。このような状況において当時の警備業者は「喧嘩を売る相手」を間違えたのだ。
 警備業者とは対照的に、権力資源に富む労組側は「全国金属労働組合→総評→日本社会党」の順番で、「暴力ガードマン取締法の制定」を求める決議を議決していき、かつ、ロビイングをすすめていった。また、当時の警察庁長官である後藤田正晴は、部下から殉職者を出した「あさま山荘事件」の直後であったこともあってか、彼は「私警察」の存在をこころよく思っていなかった。
 こうして1972年の第68回国会において成立したのが「警備業法」であった。この法律は、今でも日本の警備業者を取り締まり、警備業者による労働争議への介入を禁止している。かくして、当時の日本の警備業者の「間違い」は、警備業者みずからを取り締まる「警備業法」の成立を招いたのだった。
 1970年前後の日本のケースは「警備員=資本家の私兵」が労働者を「黙らせ」ようとした点において、19世紀後半の米国のケースと共通する。

■おわりに
 以上、「国家が暴力装置を独占しなければ、どうなるか?」という問いを、米国と日本のケースから考えてみた。
 冒頭に於いて述べた通り、武器や暴力が拡散しても「暴力の平等」は達成されず、むしろ、資金や資源に富む富裕層や資本家による「暴力の寡占」が進むのである。
 換言すると、国家が暴力装置を独占しなければ、暴力を司る神々は「優勝劣敗の法則」(クラウゼヴィッツ)のもとに彼ら「富める者」に対して微笑むことになるため、我らのような民草は資本の「火力」にさらされ、馬蹄に踏みにじられることになる。
 銃の保持が許され、比較的に「暴力が拡散」している米国においても、暴力特有の「優勝劣敗の法則」が幅を利かせている。現に銃乱射事件等において銃口を向けられるのは、高校生等の弱い者たちばかりではないか。
 なお、暴力特有の「優勝劣敗の法則」を超克し、かつ、暴力装置を独占した国家から我らのような民草を守るために案出されたのが、「基本的人権」や「民主主義」等の概念なのである。
 
  
 
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