海外ボランティアツアーYUMEKAKE vol.22が終了しました。
みんなそれぞれが、貴重な経験をし、いろんなことを考え、その思いをわかちあい、たくさんのかけがえのない思い出を作ることができたと思います。
現地の方々とのふれあいやボランティア活動、様々な異文化体験は、きっとこれからの人生になんらかの影響を与えるのではないでしょうか?
もちろん自分もその一員です。
みんな、本当にどうもありがとうございました。
スラムの子どもの施設での毎日、ゴミ問題についてのアプローチ、ダンピングサイトでの支援活動と課題、現地スタッフや子どもたち、ホストファミリーとのふれあい、いくつかのスラムや施設での体験やボランティア、海や街でのひととき、仲間たちと共に過ごした時間、、、
同じ時を共有した仲間として、自分も充実した時間を過ごせました。
また、出発前に募金や寄付をお願いした、障害児施設(Missionaries of the poor)近辺における火災への支援として、たくさんの支援物資や義援金を届けることが出来ました。
ご支援・ご協力して頂いた皆さま、本当にありがとうございました。
この火災の被災地への支援については、またあらためてご報告致します。
ところで、、、
自分がフィリピンへの支援活動を始めた当初から、ずっと関わって、仲良くしてる一人の少女がいます。
山奥のスラムに住む彼女と知り合ったのは、まだ彼女が幼児とも言える年齢の頃でしたが、そんな彼女も来年から中学生(ハイスクール1年生)です。
現地でのちょっとした活動の手伝いもしてくれるようになりました。
年初、そんな彼女からSOSが届きました。
「お金がなくてハイスクールに行けないかもしれないの、、」
知り合ってからこの長い間、本人からそういう話をされたことはなかったし、しょうじき、現地の人から、その手の話(お金がないので助けてくれ)をされることはしょっちゅうあるので、初めはそれほど深刻にはとらえていませんでした。
彼女はいつも明るくフレンドリーで活発で、学校や友だちの楽しい話もしてくれ、そこからはそんな貧困の陰が感じなれなかったから、、、
ただ、今回、新しくチャイルドサポーターを希望してくれた方から、娘と同じ年齢(来年度から中学生)の子どもと文通をしながら交流していきたい、というお話しがあり、ちょうどタイミングが合ったこともあり、このあいだ山のスラムを訪れた時に、彼女を一人の候補として、あらためて彼女のプロファイルを調査してみました。
保護者は今、仕事(山を降りて町に出て)で家にいないというので、とりあえず本人にいろいろインタビューしてみました。
そしたら、、、
ざくっといってしまうと、彼女の両親は離婚して、母親は家を出ていき、しかし、父親はその後他に女を作り、他で家庭を持ち、今は、祖母と兄との3人で暮らしているという。。
このあいだ彼女が「私の妹なの!」と笑顔で紹介してくれた可愛い姉妹は、義理の、だったんだね、、
祖母はいちおう働きには出ているが、老齢のためもあり、充分な収入がなく、一家が生活していくのはとても困難な状況だった。
、、、
ごめんね。知らなかった。。
今まで、彼女のことを支援の対象(個人としての)として見てきてはいなかったから、あまりプライバシーについて突っ込んでこなかったし、子どもだからあまりそういう話にもならないし、そんなにゆっくりも会えるわけでもなかったし、、ただ、めっちゃ仲良しとして、楽しく一緒に過ごしてた。
だけ、だった、、、
まるで家族のように、お互いが思ってたけど、そのはずだけど、彼女の本当の困難に気づいてあげられなかった。
ごめんね、、、
、、、
それなりに深く現地に関わってきてるつもりだけど、自分が知ってることなんて、自分ができることなんて、まだまだこの程度です。
自分の感性や常識なんてこんな程度です。
自分が見えてるものなんて、現地の人たちの笑顔の裏にある、本当の闇の、ほんの一部なのかもしれません。
それでも、
やっぱり自分はこれからも、スラムの人たちの心に寄り添いながら、できるかぎり同じ目線で、それぞれの困難に対し、一緒に手を繋いで、乗り越えていこうと思います。
ずっとずっとこんなふうに、迷いながら、あがきながら、打ちのめされながら、
ずっとずっとこんなふうに、あてのない答えを探し続け、
これからも、ここで、
一緒に生きていくんだと思います、、、
NGO「HOPE〜ハロハロオアシス」代表・ John Yuji Matsunuma
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