【質問 kérdés】
以下に引用している話に出てくる,民間人を「轢き殺してゆく」[原文ママ]と答えた参謀は実在したのか?
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昭和20年の初夏,私は,満州から移駐してきて,関東平野を護るべく栃木県佐野にいた.
当時,数少ない戦車隊として,大本営が虎の子のように大事にしていた戦車第一連隊に所属していた.
ある日,大本営の少佐参謀がきた.
おそらく常人として生まれついているのであろうが,陸軍の正規将校なるがゆえに,二十世紀文明のなかで,異常人に属していた.
連隊のある将校が,この人に質問した.
「われわれの連隊は,敵が上陸すると同時に南下して敵を水際で撃滅する任務をもっているが,しかし,敵上陸とともに,東京都の避難民が荷車に家財を積んで北上してくるであろうから,当然,街道の混雑が予想される.
こういう場合,わが八十輌の中戦車は,戦場到着までに立ち往生してしまう.
どうすればよいか」
高級な戦術論でなく,ごく常識的な質問である.
だから大本営参謀も,ごくあたりまえな表情で答えた.
「轢き殺してゆく」
私はその現場にいた.
私も四輌の中戦車の長だったから,この回答を,直接,肌身に感ぜざるを得ない立場にあった.
(やめた)
と思った.
その時は故障さ,と決意し,『故障した場所』で戦おうと思った.
日本人のために戦っているはずの軍隊が,味方を轢き殺すという論理はどこからうまれるのか.
------------司馬遼太郎『歴史の中の日本』(中央公論社)
【回答 válasz】
秦郁彦によれば,そのような参謀は実在せず,司馬の作り話である可能性が高いという.
a) 当時大本営は本土決戦準備に忙殺されており,大本営参謀が佐野あたりまで出向く暇など無い
b) 戦車隊は房総半島,鹿島灘へは今の50号線,相模湾へは16号線沿いに進撃する予定で,東京市内は通過しないので,逆流する避難民とはぶつからずに済む
c) 夜間に低速で起動する戦車隊は,夜光虫入りの瓶を背中にかけた交通整理役が先導することになっていたので,轢き殺しシーンは考えにくい
d) 旧戦友が司馬に問い質したところ,創作だったと司馬が答えたという証言がある
というところが,その根拠.
詳しくは
秦郁彦『昭和史の秘話を追う』(PHP研究所,2012), p.100-129
を参照されたし.
他方,この話を肯定する側で,「あった」とする論拠を具体的に挙げているものは,少なくともgoogle検索レベルでは見つけることはできなかった.
もし見かけられたかたがおられたら,ご一報されたし.
編者の想像になるが,こんなセリフを吐いてもおかしくなさそうなトチ狂った将校・士官の話は,幾つか散見されるので,「轢き殺す」話についてもそういう風評を司馬も聞いたか,あるいは司馬自ら「あいつらならこう言いそうだ」と想像して書いたのではないだろうか.
『昭和史の秘話を追う』の中にも,インパール戦のくだりでそういう参謀の話が出てくる(p.86)ので,一読されたし.
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