三月初めから10日ほど右耳が痛くなりました。
持続的痛みではなく断続的に痛みが走ります。
発熱なし。歯痛なし。鼻汁なし。
炎症性でも、虫歯でもなし。副鼻腔由来でもなし。
残るは神経痛、顔面神経麻痺か?
とも考えました。
とりあえず、ボルタレンを服用します。
しかし、神経からの痛みにはあまり効きません。
「病は気から」
病気は休めのサインです。
身体と心を休めようと思いました。
季節は寒暖の差が大きく真冬の寒さと5月の陽気が混ざっています。
身体も気持ちもバランスを取り辛く、乱れます。
「ぴきーん、ぴきーん」と右側を走る痛みは右顔面を抑えてうずくまるほどに。
これは何か意味があるなと思いました。
痛みの気や体の理由を研究してる友人に言わせると
右側は女性。自身が女性なら自分自身だそうです。
右耳は自分。みみと言えば私。
耳が痛いということは耳が痛い話を聞きなさいということなのかと考えてみました。
https://proverb-encyclopedia.com/mimigaitai/
【慣用句】
耳が痛い
【読み方】
みみがいたい
【意味】
自分のあやまちや弱みをついていて、聞くことがつらいという意味。
人は誰でも自分のあやまちを認めたくありません。
自分でわかっているからこそ、他人から聞きたくないものです。
耳が痛い話しだからこそ、
反発心や怒り、
言い訳、
自分は悪くないと思ってしまいます。
しかし、それでよいのでしょうか?
注意もアドバイスも、耳が痛い話しほど、本当は自分自身への気づきなのです。
例えその人の言い方が悪くても、言い過ぎと思っても、その真意はくみ取る必要があります。
片づけの苦手な私は、夫から部屋が汚いといわれると、ついつい言い訳が出てしまいます。
「でも。だって。忙しかったから。」
しかし、よく見るとあちこち、物がそのままに、、、、。ハイ、片づけますね。
人生の目標が魂の成長であるならば
素直に聞くこと
認めること
そして改めることです。
気づきは大きな成長になります。
他人を批判する前に、その部分の未熟さを気が付いてみましょう。
耳が痛い話に「聞く耳を持つ」ことが大切です。
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