mixiユーザー(id:6536531)

2018年03月21日20:37

78 view

【被害者不在】行政による交友関係の強制分断を我々は許してはいけません。〜少女を自宅に連れ込み2人逮捕  この事件も被害者がいないと思われるので・・

■「死にます」と書き込んだ中学生を誘拐した疑い、逮捕
(朝日新聞デジタル - 03月21日 15:16)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5036462話はすこおしずれますが・・・ツイッターで「家に来る?」、女子中学生誘拐の疑いで2人逮捕

 ツイッターで知り合った14歳の女子中学生を自宅に連れこんだとして、ラーメン店アルバイトの男ら2人が警視庁に逮捕されました。

 未成年者誘拐の疑いで逮捕されたのは、東京・品川区に住むラーメン店アルバイト、仲間理優聖容疑者(21)ら2人です。2人はツイッターで知り合った14歳の女子中学生に対し、18歳未満と知りながら「家に来る?」などとメッセージを送り、先月19日から10日間にわたって仲間容疑者の自宅アパートに連れ込んだ疑いが持たれています。

 2人は女子中学生と先月15日にツイッターで知り合い、犯行当日初めて会ったということです。2人は逮捕前に、「少女が家出をしたがっていたからかくまってあげた」という趣旨の話をするなど、容疑を認めているということです。
14歳少女を自宅に連れ込む、誘拐容疑で男2人逮捕

[2018年3月2日13時31分]

 ツイッターで知り合った少女(14)を家に連れ込んだとして、警視庁深川署は2日、未成年者誘拐の疑いで、東京都品川区大井、ラーメン店従業員仲間理優聖(りゅうせい)容疑者(21)と、江東区の無職少年(18)を逮捕した。

 逮捕容疑は、2月19日午後2時15分ごろから3月1日午後7時20分ごろまでの間、ツイッターで知り合った少女を「家に来る? りゅうの所に来る?」などと誘い、仲間容疑者の自宅に連れ込んだ疑い。

 深川署によると、少年は少女と2月15日に、ツイッターで知り合った。少女から「父親から虐待を受けている」と相談を受け、1人暮らしをしている仲間容疑者に「自分の代わりにかくまってあげて」と連絡。仲間容疑者が少女宅の最寄り駅まで迎えに行き、自宅に連れ込んだ。

 2人は容疑を認め「少女がかわいそうでかくまおうと思った」との趣旨の供述をしている。少女の母親は2月20日に警察に捜索願を出していた。

 逮捕された2人の友人である別の少年が今月1日に「(仲間容疑者の自宅に)14歳の少女がいる」と深川署に届け出て、同日夜に捜査員が少女を保護した。(共同)

<筆者・さゆ>

この事件の詳細を以下にまとめます。



・2018年2月15日

14歳女性は、18歳男性とTwitterで出会った。

その際、「家出したい」と14歳女性は、18歳男性に相談。18歳男性は、「家に来る? りゅうの所に来る?」と誘った。

・2018年2月19日

仲間理優聖(なかまりゅうせい)らは、同意した14歳女性の家の近くまで迎えに行った。

同日午後2時15分ごろから3月1日午後7時20分ごろまでの10日間、
14歳女性は仲間らと生活を共にした。

・2018年3月2日

仲間理優聖(21)と18歳の無職の男性を未成年者誘拐の疑いで逮捕。



この事件に、被害者は誰もいません。

行動に至った全員の意志は、一致しているのです。

仲良くなり、共にいる人達を、年齢を根拠に「誘拐」として逮捕することは、大衆の交友関係に対して強制的に分断する社会であり、あってはならない行為です。

国家権力を行使した行政による、交友関係の制限を我々は許してはいけません。

これは権力を行使した、大衆分断なのです。

それを強く理解してください。

だれも被害者がいないにもかかわらず、なぜこのりゅうせい君らが犯罪者として扱われなければいけないのか?それを我々は考えなければいけないのです。

この逮捕の目的は、大衆の交友関係を分断するルールを社会に作り出したいからに他ならないのです。

分断のルールとしてわかりやすくする為に、「18歳以上とそれ以下の交流」と、明白に数字で区切るルールを定義として、分断しているのです。

そしてこれは同時に、大衆内に「数字(年齢)で区分けする」というルールの当たり前化を大衆洗脳することに繋がります。(「何歳になってないから、こうするもの」といった無根拠のルール)

人の成長、人の精神性、そして「本人の意思」は、人それぞれであるにも関わらず年齢で一律に区切った社会ルールが作られているのです。これは超短絡的規範であり、短絡的であるからこそ、多様性ある人に対して適用できる規範ではありません。

この暴挙と言っていいルールは、もちろん「大衆支配設計の強化」を目的としているのです。

先ほど言った「本人の意思」は、今回で言うところの「14歳女性の家出したいという思い」です。それを、行政は完全に無視しました。

それどころか10日間共に過ごした仲間を犯罪者とすることで、14歳女性の意志を社会は否定したのです。

つまり、この逮捕は、18歳以下を守る為の目的で行われているものでは、決してないのです。

人は本来、自分の意志で、自分の時間も、自分の足も、体も、使うべきです。

今、誰と一緒にいるべきかも本人の自由です。何歳だから、しちゃいけないなんてルールは本来存在しません。

何歳であろうと、自分の行きたい時に、自分の行きたいところに行き、自分が一緒に居たい人といるべきです。

それが「生きる」ということです。

国家権力だろうが、親だろうが、それを制限してはいけない。

それが他者を尊重するということであり、他者を愛すということです。

それを犯すなら、それは支配者であり、その支配者は、自分の都合で他者をコントロールして支配下に置きたい利己主義者です。それでは健全な関係は築けません。

これらを聞いてもし、「危険」だからコントロールするべきと思う人がいるのなら、その危険は、大衆支配設計の為に作られたものである、危険というイメージの刷り込みが行われていることに過ぎないことを知るべきです。

又それは、他者を下に見ている考え方です。他者の能力を軽視しているからです。

もし女性の家出という行為に対して、なんらかのアプローチを取りたいのなら、14歳女性の起こした行動(家出)を尊重した上で、14歳女性の心に向き合った、当事者間の建設的な話し合いでのみ解決するべきです。

彼女の家出した行動をまず認めなければいけません。

家出という行動に出た、彼女の心にある「出たい」という事実をまず周りが受け入れなければいけないのです。そこがこの件のそもそもの始まりであり、そこが一番重要なのです。

その行動に至った根源を言語化して、理解し、それに対する前向きな行動を共に考えるべきなのです。

これだけが、人目線でこの件を建設的に前進させる唯一の方法です。

つまり、その彼女の心の根源(出たいという思い)に向き合う作業は、男性二人の逮捕と全く関係のないことですから、逮捕の目的は、「人を救済することではない」と、いうことが証明されるのです。

逆に逮捕することは、21歳、18歳、14歳という若い彼らが社会の餌食になっただけで、なにが起きたのかその本質がわからないまま、この何ら否定されるべきでない行動が社会に否定された彼らは、むしろ彼らの良い部分を失ってしまうでしょう。(よほど強い人間でなければ)

社会は、大衆分断のルールを社会敷設する為に、彼ら3人の行動を利用し、犯罪としたのです。

この事象に対して、逮捕するという社会の反応は、一切当事者の人たちの救済になっていないことが、この社会ルールは、人のために存在していないという証拠なのです。

社会は救済したと見せかけているだけで、なんら「人と向き合っていない」のです。

社会が向かっているのは、「治安秩序の維持」を建前とした、「支配設計を大衆に強制していること」に過ぎないのです。

それが、「逮捕された本当の意味」なのです。

なんて腐りきった社会なのでしょうか。

TOP記事にあるANNのタイトルに「>「家に来る?」ツイッターで“家出少女”につけ込み」とありますが、この3人に起きた一連の出会いと交流に「つけ込み」、利用しているのは、大衆分断のルールを社会に敷設したい権力側なのです。

そしてこの事件化で、一番かわいそうな目にあったのは、りゅうせいくんでしょう。

自宅アパートが、彼の稼いだお金で家賃を払い自立してたのかどうか、詳細はわかりませんが、10日間14歳女性の衣食住を彼がラーメン店でアルバイトしていたお金で養っていたのです。

彼は立派じゃないか。

14歳女性も、仲間(友達)が出来て、他者の考えに触れ、人生経験を積むことができたはずです。

家出をしたいと思っていたわけですから、開放されて心も救われたでしょう。

家出したいと思った、つらかった心に対して、自宅以外の他の世界を見ることは、彼女自身が必要なことだと感じたから、出たのです。

又、私は以前、朝霞市女子中学生監禁を扱いました。

そこで私は、好き合って同棲し(女子生徒の意志で家出)、娘にPCと自室、金も与え、出入り自由(つまり両親とも連絡も取れ)、2年も自分の娘の面倒を見てくれた寺内かぶに対して、女子生徒の親は、感謝の気持ちを示すべきだと言いました。

しかしそれどころか、両親は彼を犯罪者としたのです。

両親が寺内を擁護するどころか攻撃する行為は、自分の娘の意志(家出)への冒涜です。

自分の愛する者が、その自らの意志で起こした行動に対して、その行動を尊重した会話で解決するのではなく、司法や検察にその行動の審議を委ね、その行為を裁かせることは、当人同士の関係の溝を深めるだけです。そして当事者の関係性を最重要とするのならば、特に最悪な方法です。

そのような方法を人間関係に持ち込むことは、未熟な精神そのものであり、愛する者への態度ではありません。

それらは、精神性が未熟な者が、自分の庇護の下や手中だと思い込んでいた家族や恋人などに対して、自分のコントロールを外れたことに対しての恐れからの攻撃に他ならず、その過度な束縛は信頼関係が没落する行動です。

例えば、浮気や、家出で、前者は浮気相手を訴えたり、後者は同居人を誘拐で告訴したりしても、人間関係の健全化において、取り返しのつかない悪化しか招きません。(これを社会が行おうとしている)

当人同士の関係の溝を深めるだけなのです。当事者の問題を当事者間で解決しないことは、まさに西洋医学的対症療法と似ています。

家族が起こした行動、そしてその関係者達の行動が、社会の都合で、もてあそばれないように我々は当事者を守るべきです。

皆さん。

他人事だと思って、社会で起きているおかしなことをそのままにするのなら、それは我が身の危険を放置するということです。

最後にこの報道への私のつぶやきに対して返信をくれた方とのやり取りを残して終わりにします。

ーーー

芦野 純子 昔今から35年以上前です。結婚して東京にいた頃留守中アパートのドアをロックしないでいたら近所の子供達(小学生)がかってに入って遊んでいました。夫は絵描きなのでしょっちゅう来るようになって親たちとは面識はありませんでしたが秋田に越してきて半年後、その子達のうちの3人が1週間秋田の我が家に遊びに来ました。今考えれば親たちもよくこさせたと思います。今だと大問題になるでしょうね。

ーーー

Masayuki Hiratsuka そのような、本来あった「人との交流」という普通の事がなぜ今の時代はダメとされているのか?それを疑問提起し、そのような社会にされた理由も含めて、私は記事や動画で訴えています。このような分断された社会にされたことこそが「大問題である」と大衆は認識し、この大問題を後世に残してはいけません。本来の普通の姿に社会を戻すべきです。素晴らしい思い出を教えてくださり、ありがとうございます。

http://sayuflatmound.com/?p=37114から一部転載
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する