今日の午後、従兄から電話があって、伯父が亡くなったことを知らされました。ボクの母親の兄にあたる人。
心不全や脳梗塞で入退院を繰り返していたものの、前日まで自宅にいたみたいなので、急死に近かったようです。母親の死から3か月あまりなので、後を追うような死ともいえます。1月の四十九日は体調不良で欠席だったので、12月の告別式で会ったのが最後になりました。
母親の兄弟は全部で6人いて、そのうち3人は40〜50代で亡くなっていて、残りの3人が長生きしていました。そして、一番年下の母親が82歳で亡くなって、後を追うように85歳の伯父が亡くなって、88歳の伯母が最後に残ったことになります。
88歳の伯母は子供がいなくて、東日本大震災の1〜2年くらい前からグループホームに預けられているのですが、日常生活は車いすで、食事も流動食、会話もできないような状態です。昨年秋には、もう何があってもおかしくないということで、その時の対応についての承諾を求められました。
生前の母親は、子供のいない伯母のことをいつも心配していましたが、結果的には一番長生きした(する?)ことになります。母親としては伯母(姉)の最期を看取るつもりだったのだと思いますが、結果は逆になってしまいました。結局、施設にいる方が長生きできるというのことなのか――などとも考えてしまいます。
普通に考えたら、一番年下で、健康状態も良くて、家族と同居している母親が、一番長生きしそうなものだし、ボク自身もそうなるものだと(当たり前のように)思っていました。そうならなかったのは、転倒事故を防げなかったことが大きいわけで、今でも悔いが残ります。
――何が言いたいのか自分でもよくわからないのですが、人の死というのは、思い通りにはいかないものなんだなと……。仏壇の前で伯父の死を報告しながら、人が死ぬということについて、あれこれ考えてしまう夜です。
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