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2018年03月18日07:05

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無理しましたか?

今朝のNHKの再放送番組の「イッピン」では信州長野戸隠の竹細工工芸品を扱っていた。

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この番組は国内の美術工芸品を丹念に取材した30分もののものドキュメント番組であり陶磁器やガラス工芸品や織物染物など多岐に渡っていて面白い。本放送はBSプレミアムの夜番組のようである。
今朝観た竹細工というのは細い曲がり竹という素材を精魂込めて丁寧に折り編むものであり判りやすく楽しかった。
コーヒーを淹れる円錐型のドリッパーを竹細工でこしらえたものが最近のイッピンだそうで、これで淹れたコーヒーは香りが高く美味しくなると有名なバリスタの方が試飲して称賛していた。
やはり手作り手仕事っていいよね。こういうの見ると自分で何かこしらえたくなります。後で鶴の折り紙でも折るとしよう。

その番組の後の「演芸図鑑」は先週までの正蔵師匠の案内からまたも文珍師匠にバトンタッチがなされており初回の対談ゲストは朝からこのお方であった。

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壇蜜姐さんである。もうテレビに出始めて十年は経過したであろうか。あの頃から今もあまり変わりない感じがする。
僕この人登場し始めの頃は胡乱でいかがわしい感じがしたのであまり好きではなかった。
されど長年一線で活躍するさまを見るうちに実は真摯で一所懸命で誠実な人柄であることがほの見えてきて今では彼女のファンである。

彼女の凄いところはもうこれだけ売れているにもかかわらず未だに雑誌のグラビアで全裸すれすれの汚れ仕事を厭わず受けているところである。初期からのファンに礼を尽くしているのだと思う。
そこそこエロスな僕なれど彼女に関しては表面的なエロスではなく彼女の内包しているものに興味がある。エッセーや人生相談やらの活躍もあり引出しの多い人であるからだ。

偶然ながらその彼女が昨日のA日新聞の「折々のことば」に登場しておりそのことばに惹かれた。こちらである。

「無理はしたが、無駄ではなかった」

鷲田先生の解説をそのまま続けるとこうだ。
→「転職だらけ、つぎはぎだらけの人生」を送ってきたと、タレントは言う。
大学病院で遺体の臓器や組織を管理する仕事もやれば、銀座でバニーガールもやった。その時々精一杯やった仕事の思い出が、随想の形で甦った。どんな経験も、いつか何かをするときに使えるポケットの中の小道具のようなもの。無駄な経験などない。
壇蜜のエッセー「脾臓と兎」(「群像」4月号)から。

「群像」買ってこのエッセーを読みたくなりました。
今朝の対談でも彼女が資格を得ている遺体衛生保全士の仕事のことや銀座ホステス時代のことなどが語られて朝からたいへん面白く有意義な話であった。
銀座時代のママの言いつけが面白く、触りまくってくる客がいたらそいつの手を握れ!というのが実にリアルで可笑しかった。
だが彼女は言った。私は手を握らず会話で逃げ切る道を選んでいた、と。すごい。
とにかくいろんな仕事をしてきたことが今の彼女を形成しているのだなと改めて知り得て良かった。

僕はどうだ。12年前に18年間勤めた会社をリタイアして後現在の専業主夫兼プータローに至るまでにいろいろな仕事をかじりつつ迷走した。
大型油圧締結工具のセールスマンで巨大な製鉄所の中をうろついたりAEDのセールスで高慢ちきな医者にペコペコしに行ったりした。

その後はネクタイを諦めて隣町の駐車場で誘導員を勤めたこともあり陰険なチンピラに絡まれたことがあった。
切削工具の製造工場に入り自動旋盤機械の操縦をやらされたり重量刃物の研磨をやったりもした。夏場だったので蒸し暑い工場内で終日ものすごい量の汗をかきつつ作業に従事した。
その後夕刊限定の新聞配達と集金業務もこなした。冬場の雨の配達は心底身体が冷えた。帰宅後の風呂と熱いコーヒーが身に染みた。
仕出し弁当の配達員で午前中常に時間に追われてヒーヒー言わされた。僕史上最も過酷で高ストレスの最低の仕事であった。
これらの他にほんの数日であったがプロパンガス契約の拡張員にも従事したことがあった。

なんだかいろいろやったなあ。どれも本音はしたくてした仕事ではなかったのでそれらをしたこと自体がそも無理であったと言える。
で、それらの経験がいまに生きているかというとどうであろうか。まあいずれも往時つらい思いを余儀なくされたおかげでいま毎朝の早起きや日中の眠気はさほどの苦労に思えずにいる。やはり役に立ったのであろうかあんな仕事群であってもね。

なので昨日の壇蜜姐さんの「無理したが無駄でなかった」にはどこか同調できるし好きな彼女の言ったことばであるのでこれからも肝に銘じたいと思う。
さてそんな僕であるがこれから降り注いでくる無理があるのかというと実はある。

いま3歳4か月になる次女ともみが毎日まいにち無理難題の甘え事を言ってきては僕ら両親を困らせてきており難儀している。昨日も僕が夕飯支度時に遊んでくれないとものすごく泣いて怒って挙句パパダイキライと言われてしまった。当面あのテのストレスに耐える必要がありこれがけっこうキツかったりする。それでもなんとか彼女に優しく接していかねばなるまい。あ〜けっこう大変(-_-)。

それもいつかは無駄でなかったと言える日を待って頑張るのである。いつだろうその日って?
また上記のことばとは別にかつて会社員時代に上司から言われたことばにこんなのもあった。

「無理はしても無茶してはいけない」

無理と無茶が歴然と異なることを往時知ったものだった。ほんと、無茶はいけないと今でも思う。以前第二次独身時代の鯨飲馬飲は無茶であったとつくづく反省している。
いずれ無理無茶をしたくてもできない年齢にさしかかってきつつある。ほどほどに参りましょう。一曲。



昨日キムタクのドラマ「BG」の最終回を観終えた。村田課長のそしてBG皆の名誉を回復することが出来て嬉しかった。

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キムタクさん、あなたは今でもカッコイイですハート。どうもお疲れさまでした。
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