久しぶりに、受け取ったメッセージをお伝えします*
長く編集中のままでしたが、やっと形に出来ましたー。
*〇.*゜
神の喜ぶ信仰の在り方は、神との繋がりを感じて、安心感と精神的な豊かさを得られる在り方です。
周りの人々にも豊かさをもたらし(物質的なことに限らず、周りの人を思いやったり、互いに気持ちの良い関係を築くといったことも含めます)、喜びを分かち合い、神と幸せをもたらしてくれた全てに感謝する。そこからまた豊かさが生まれる…
このようなポジティブな循環をもたらす形です。
神を信じるのは良いことですが(「信じなければいけない」ということもありません)、
「この神以外を信じる人は悪魔にそそのかされている」「神を信じないなんて道を踏み外している」と他の在り方を否定したり見下したり、
「この神を信じなければ地獄に堕ちる」と信じて信仰し、「人々を地獄行きから救わなければ」という思いに駆られて信仰を広めようとしている方もいらっしゃいますね。
全てを慈しむ神を信じながら、どうして心や視野を狭くしたり、恐怖や心配に囚われてしまうのでしょう。
神が望むのは、全ての存在の幸せです。
全ての存在が幸せであるということは、互いに認めあい、助け合って共存する、調和した世界であるということです。
ある人が、
「神の存在を信じることはできない。だからこそ、自分で自分を幸せにし、他の人を出来る限り助けよう。この世界の幸せを増やすために出来るだけのことをしよう。」
という考えをもって、自分も周りの人々も大切にし、感謝を忘れない生き方をしているとします。
これは、神の存在を信じていないとしても、神の喜ぶ在り方です。
神は喜んでこの人の力になるでしょう。
このように、既に神の意思に沿った生き方をして助けられているので、神の助けを求めることもなく信仰を必要としない人もいます。
こういう在り方があっても良いのです。
「信仰がないから地獄に堕ちる」等と心配しなくて大丈夫です。
「神などいるわけない」と強く否定的な思いを持っている場合も、神は罰することはありません。
ただ、そういう人は大体感謝する気持ちがなかったり、物事を否定的に見るので、他の存在との調和を失い、自ら流れを悪くしてしまいます。その結果、幸せを感じにくくなってしまうのです。(→ [リツ] 良い流れの作り方
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1959163332&owner_id=65478440)
これが極端に強まった状態が「地獄」と言えるかもしれませんね。
宗教や信仰の有無や形はそれほど重要ではありません。
一神教であろうと多神教であろうと、宗教ではない独自の信じ方でも、その人が神との繋がりを感じて安心してこの世界に向き合えるならどのような信じ方でも良いし、信仰がなくてもその人が安心して幸せに生きられるならそれで良いのです。
(→ [雪棕櫚+?]宇宙・神との繋がり方(`・ω・´)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1959803132&owner_id=65478440)
大切なのは、この世界に調和と幸せをもたらそうとする気持ち(=感謝を忘れないこと・他の在り方を否定しないこと)です。
その姿勢で生きることは、神のために働くことと同じであり、それは神にとっては信仰と同じです。
神は全てであり、この世界(宇宙)そのものが神でもあるからです。
全てに神が宿るのです。あなた方一人一人にも神(=魂)が宿り、魂は本来の自分(=神の一つの側面)を顕し、世界に善きもの・多くの可能性をもたらしたいと望んでいるのです。
(→ [イラナザ] 自分自身を現しましょう。それがあなたの役割です。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1959376389&owner_id=65478440)
それは今なお続く、世界の創造です。
神から託された各々の可能性・創造性をどれだけ多くこの世界に現すかという挑戦のようなものです。
争ったり否定したりしては、せっかくの可能性をないことにしてしまいます。
他の在り方も認めることは、神の望む世界を造るために大切なことなのです。
信仰を持っていれば良いというものではないのです。
「信仰を持つ自分は正しいが周りの人は間違っている」という驕りと否定や、「信じなければ地獄に落ちる」という不安と恐怖―それらは神の望む調和とは対極の不調和を引き起こすものです。
自らを世界との調和から切り離してしまいます。
「罰せられる」「地獄に堕ちる」という恐怖からの信仰は、神を信頼しているとは言えません。
神の道にいるようでいて、神の望みとは逆方向へ向かってしまう囚われ―それこそが悪魔と言えるのではないでしょうか。
信仰の中に否定や不安等がある場合、自分の中の何がそうさせてしまっているのか向き合って頂きたいのです。
例えば、
・劣等感を持っていて、信仰を持つことで自分を正当化し、周りを批判する。
・自分の在り方を自分で決めずに他人に委ねてしまい、「この神を信じなければ地獄に堕ちる」と恐怖や不安に支配されてしまう。
どちらも、自分を大切に出来ていないのです。
1つ目の例は、周りを批判することで、自分を受け入れられないことから目をそらしてしまっているということです。今の自分に満足できないのなら、自分自身のために努力をしてあげて欲しいのです。(「努力」と言っても、義務的な苦しいものではなく、楽しむことが大切です。)
自分にある長所や才能を探して磨いたり、興味のある分野を極めるなど、他人を攻撃せずに、自分が幸せになれる方法をとって欲しいのです。
幸せになることで、周りに幸せをもたらすことが出来ます。それはこの世界に幸せが増えることであり、神の喜びです。
2つ目の例は、自分を守ることをやめてしまっています。
不安になったなら、自分を不安から解放する方法を探して欲しいのです。
苦しくなるような考え方をそのまま信じるのではなく、それは本当か・他の考え方はないのか調べたり、他の人にどう考えるかを聞いてみたりして、広い視野で捉えなおしてください。
そして、自分にとって必要なものかどうかを検討し、信じ方を選んで欲しいのです。
(→ [雪棕櫚] 自己否定・「こうあるべき」という囚われに悩んでいる方へ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1960162323&owner_id=65478440)
自分自身を安心させ、幸せであってください。そして、この世界・神との繋がりを感じて、他の人々と共に豊かな世界を創ってください。
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