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2018年03月04日08:46

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ひな祭りのお話し

ねずさんブログより転載

ひなまつり http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1818.html

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今日は3月3日です。
ひな祭りの日です。
女の子のすこやかな成長を祈るお祭りの日です。

文部省唱歌に「うれしいひなまつり」という曲がありました。
とてもいい歌詞です。

♪ あかりをつけましょ ぼんぼりに
  お花をあげましょ 桃の花
  五人ばやしの 笛太鼓
  今日はたのしい ひなまつり

♪ お内裏様(だいりさま)と おひな様
  二人ならんで すまし顔
  お嫁にいらした 姉様に
  よく似た官女の 白い顔

♪ 金のびょうぶに うつる灯(ひ)を
  かすかにゆする 春の風
  すこし白酒 めされたか
  あかいお顔の 右大臣

♪ 着物をきかえて 帯しめて
  今日はわたしも はれ姿
  春のやよいの このよき日
  なによりうれしい ひなまつり

ひな祭りは、もともとは平安時代に貴族の子女の「ひな遊び」からはじまったとされています。
それが女の子のお祝いの行事となったのは、安土桃山時代のことで、そのころからひな人形が、武家の娘さんの嫁入り道具のひとつになりました。

ひな人形は、ひな壇に飾られますが、このひな壇は、天皇皇后両陛下のおわします御所を模したものです。
最上段には、天皇、皇后両陛下をあらわすお内裏(だいり)ひなが飾られ、次の段には宮中に仕える女官をあらわす三人官女(さんにんかんじょ)が飾られます。
その下には謡(うたい)、笛(ふえ)、小鼓(こづつみ)、大鼓(おおづつみ)、そして太鼓(たいこ)からなる五人囃子(ごにんばやし)、楽器は右から小さい順に並べます。
なかには、豪勢に7人の楽人のお人形セットもあります。
四段目が政治の中心者の右大臣と左大臣、
五段目に衛士(えじ)が飾られます。衛士は、それぞれ傘と、沓台(くつだい)、台笠(だいがさ)を手にしています。

ひな飾りで非常におもしろいと思うのは、最上段の天皇皇后両陛下は、納得できるものとして、二段目に宮中に仕える女官をあらわす三人官女(さんにんかんじょ)、三段目が謡(うたい)、笛(ふえ)、小鼓(こづつみ)、大鼓(おおづつみ)、そして太鼓(たいこ)からなる五人囃子(ごにんばやし)となっていて、政治の中心者である右大臣、左大臣がその下の四段目におわすという点です。

そしてこの右大臣、左大臣の間に、菱餅(ひしもち)とちらし寿司が置かれます。
おもしろいと思いませんか?
武官姿の大臣が、三人官女や五人囃子の下の段なのです。

そこで見事に証明されているのは、我が国における天皇は、武威によって民を統治する皇帝ではない、ということです。
もちろん、ひな壇が単に上下関係をあらわすものではない、という側面も見逃せませんが、そうは言っても、やはり最上段は、おひな様の席です。序列はある。
そしてその序列が、女官>楽士>武器を持った政治家>衛士の順になっている、というわけです。

ここに、統治よりも、民衆の心を大切にするという、我が国の非常に高い文化性があらわれています。

京都の御所は、もともとは天皇のお住まいになられていた宮殿です。
けれどその宮殿には、堀もなければ、武者隠しのような設備もありません。
京都だけでなく、もっと古い都の奈良でも、あるいはそれ以前の都においても、陛下のおわす宮殿は、いつも民の間近にありました。

それでいて、我が国は、万世一系の天皇が2673年も続いているのです。
あるいは、一説によれば、天皇家の歴史は、さらにそれより6千年もさかのぼることができるという説もあります。

なぜそういうことが可能であったのか。
それは、我が国の天皇が、古来、武力によって民を弾圧してきたという存在ではなかった、ということです。
そうではなくて、天皇は、神代の昔からの天照大神の直系のお血筋であり、常に私たち民の安寧と幸せを願う存在でした。

西洋でも支那でも、世界中どこにも、それぞれの地域には「王」がいました。
そこで大切なことは、王にとって、王の部下である重臣、たとえば将軍などは、王にとっての私有民であったということです。
もっと端的にいえば、王にとって将軍は「奴隷」です。
なぜなら、将軍は王に一切逆らえないからです。

そしてその将軍にとって、将軍の部下たちは「奴隷」です。
さらにその将軍の部下たちにとって、領地に住む一般の民衆は、「奴隷」です。

つまり、社会の構造が、すべて、そうした上下関係によって成り立っていたのです。
ですから、たとえば豪族にとって、民衆は「私有民」であり、私物であったわけです。
私物ですから、そこに人権などありません。
私有民の持つ全ては、領主のものです。
だからこそ、私有民だったわけです。

ところが日本では、日本の最高神である天照大神の直系のお血筋の天皇が、国民の頂点におわして、国民は、その天皇の民、として位置づけられています。
これが「皇民(公民)」です。

この「皇民」という思想は、実にたいへんなものといえます。
なぜなら、豪族や政治権力者による、国民の私有化が、これによって否定されているからです。
民衆は天皇の民であり、政治権力者は天皇によって任命される。
つまり、一般民衆と政治権力者は、人として等しく天皇の民となっているわけです。

これによって、我が国では、一般民衆の中に、誰一人「奴隷」がいないという、まことにもって希有な社会体制を、古代から築き上げているのです。

さらには、ひな人形にもあきらかなとおり、男性の政治権力者よりも、女性たちの方が、立場も上として認識されているのです。
そしてこういう飾り付けが、平安時代という大昔から行われ、武家が天下をとっていた戦国後期から江戸時代、そして明治、大正、昭和と続く御代においても、ずっとその仕組みが変わらぬものとして認識され続けてきている、ということなのです。

日本人は、天皇を大切に思っています。
なぜ大切におもっているかといえば、もちろん天皇のお人柄もあるでしょうけれど、それ以上に、我が国に天皇という存在がおわしてくださるおかげで、我々一般民衆が、奴隷ではない、人としてあらゆる階層の人々と対等な存在でいられるということの「ありがたさ」を、本能的に理解しているからなのです。
これを、私たちは我が国の「国体」と呼んでいます。

先般、フジテレビの「笑っていいとも」で、ひな壇に飾られたひな人形を、扇を投げて倒すという、とんでもない番組が放送されました。
これには多くの人々がさすがに、怒りをあらわにし、番組でも謝罪があったようですが、要するにフジに巣食っている在日朝鮮人には、こうした我が国の国体が、まるで理解できない。
なぜできないかといえば、彼らの脳裏にあるのは、目の前の上下関係だけしかないからです。
そして理解できないから、こういうバカな番組をつくる。

そうそう、ひな祭りといえば、菱餅(ひしもち)です。

菱餅は、赤、白、緑の三段重ねにんあっていますが、赤は桃の花、白は雪、緑は若草を表します。
まだ雪の残る春先、その雪の下には若葉が芽を出し、もうすぐ桃の花が咲き薫る。
そんな季節を表したのがこの三色です。

菱餅がなぜ菱形なのかもおもしろいです。
菱(ひし)というのは、実の四方に鋭いトゲがある植物で、たいへん繁殖力が強くて、縄文時代から長く日本人の食用にもされていた植物です。
つまり、菱は、子孫繁栄と食うに困らない、ということを連想させる植物でもあるわけで、その菱の姿に、桃と雪と若草を配して春をあらわし、女の子のお祝いに備えたわけです。

意味を知れば、そこに込められた願いややさしさ、親心などがわかろうというものです。

私たちは、もっともっと日本文化をよく知り、たいせつにしていかなければならないと、私は思います。
なぜならそれは、日本人がほんらいもっていた、やさしい心を取り戻すことにつながると思うからです。



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