「立ち止まる」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/2/25(日)【1044】)
http://9001.teacup.com/sfk/bbs/18561 (写真入り記事)
忙しく動きまわっていることで、充実感を感じることがあります。
急にやることがなくなると、ぽっかり穴が開いたように感じるものです。
それは貴重な体験です。
忙しくしていると、立ち止まる機会を失い、本当の自分の気持ちを感じる機会を失ってしまいます。
急なキャンセルが入った時には神に感謝を捧げます。
神と二人だけの時間を過ごします。
一段落したら、やりかけの仕事をしたり、このような文章を書い(準備し)たり、読みかけの本を読んだり、昼寝をしたり、買い物に出かけたりなどを考えます。
どんなに忙しくても、立ち止まって神に祈る時間を確保して下さい。
この時間があなたを祝福します。
何もしないで立ち止まる時間を持つのは難しいことです。
休んでいるつもりで、どこかが動き続けています。
心が停止しないで、悩むという活動をし続けてしまうことがあります。
一人の女性が、若い時に夫を天に送りました。
夫人は、一段落したら、生前夫婦で旅行した場所に一人旅をしたいと考えていました。
夫人の兄は、一人で思いでの地に旅をしたらどうなるかを心配し、仕事を頼みました。朝から晩まで、仕事をしてもらいました。
もし夫人が一人旅をし、亡き夫との思い出に浸つたとしたら、悲しみに押し潰されてしまった可能性があります。
夫人の兄は、悩む時間を持たせないために、仕事を任せました。
悩む時間を持たせなかったことが良かったのです。
立ち止まるとは、悩むことも含めて、心も停止させることです。
聖書は、「汝ら静まりて我の神たるを知れ」(詩篇46:10)と語ります。
「静まる」とは、停止することです。
「正しい」という漢字は、「一」の下に「止まる」と書きます。
「一」とは、唯一の神です。そのお方の下に「止まる」ことが、「正しさ」だというのです。
立ち止まる時間を持っていますか?
何もしない一人の時間です。
一人神と対峙する時間です。
この時間が人を安息させ、回復させ、修復させ、充電させてくれるのです。
これは、個室のトイレに入った5分だけでも違います。
立ち止まる時間を持ちながら、文章を書いています。
「今日の文章を書かなきゃいけない!?」と急き立てられて書いているわけではありません。
立ち止まって、素敵な時間をお過ごし下さい。
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