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2018年02月21日09:44

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オリンピックと、ねとうよさんの悲しみ。

五輪選手が銅メダルの同僚が次の五輪を前にして自殺したと言う話をしていました。当時の五輪選手は、よく勉強をしていると言うことも感じます。今の五輪選手は顔からして悪人顔が多いため、私は全く見ません。(もちろん、私がたまたまテレビのチャンネルを変えているときなどで数秒間見た人達だけのことですが)
 五輪選手に、日本人なるものが今やすっかり替わってしまったことが見て取れるような気がします。
ねとうよなどは、日本人というよりは、ねとうよ自身が妄想する「特別亜細亜人」彼らが略称として用いていた「特亜」そのもので、彼らは、自らを「「特亜」なる存在に投射して、彼らネトウヨ(ネット右翼)の心の奥にわずかに残る両親がこの自らが投影された存在(幻影)の「特亜」なるものを激しく罵倒しているのではないかとも感じます。
 同じ事は、最近の若いかたがたとお話しする機会があると、もちろん、酒の席などで、彼ら若者は年配者である私に対して十分に遠慮して真面目に話して下さるのですが、その言葉のはしばしに、そういう屈折したものを感じさせることが多いものです。
 子供時代から、異様な競争の中に置かれ、母親と二人だけの空間で過ごし、友人との関係は希薄で、町の人びととの交流はほとんどなく、母と兄弟だけ、それも昔に比べれば実に少人数の兄弟姉妹しかいない今時の家族なるものは隣人とさえ緊張関係にあるような今の日本。幼稚園から始まる嫉妬といじめ。金が内だけで進学を諦めざるをえないことや、コネ入社の連中ばかりが正社員の『楽な』ポストを独占しているという、真面目な努力が報われない現代日本。マンガやテレビでは悪人がヒーローのようになる異常な洗脳社会。
 なにやら、社会主義国家にも似ているところが、お互い同士の監視、密告、自己規制です。それにしても、かつて国家を支配していた社会主義社会では、一応、社会が推奨するヒーロー像があり、それそれなりに人間の理想を表していたものですが、今の日本では、そういう理想は存在しません。むしろ、優れた人が居ても、みなでよってたかって叩き粒省内上なほどの嫉妬社会であることは、かつて芥川や夏目漱石が指摘したとおりです。

 日本では、かつて社会主義国家に神話として存在していた理想に近いものが、今の組織資本主義社会、実態としては、社会主義官僚主導国家独占カネカネ主義の日本では、欠けているのです。
 そんなことを感じたのが、今日、放送されていた
「世界わが心の旅 ギリシャ マラソンが生まれた道 旅人」
というドキュメント旅番組の再放送でした。

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