仮眠時間です。
最近、少し暖かくなってきたのか、鳥さんの鳴き声を聞くときもありますね。
いよいよ、ハイレゾ自然音の季節が近づいてきたのかですかね。
アメリカのユタ州の倉庫の一角を使わせてもらっています。
グッピングというサービスに加入しているのですね。
それで、今回、4つばかり、まとめて、送ってもらう、手続きをしましたね。
TASCAM iXJ2と、オーディオテクニカのマイク3本ですね。
まぁ、3本、全部ワンポイントステレオマイクですね。
AT822とかAT8022とかAT825とか、なんか似た型番でありますね。
まぁ、ハイレゾ自然音の季節になると、私は、うちの近所か、川崎の東高根森林公園で、録音すると思いますね。
まぁ、昨年、暮れに、べッキーさんが、ウチくるに出演したときに、鷺沼駅の近くかなと思われる、ピザのお店が、紹介されていました。
鷺沼は、川崎市宮前区にあります。
そして、東高根森林公園も、川崎市宮前区にあるんですね。
べッキーさんの地元のようですね。
下手したら、べッキーさんは、歩いて東高根森林公園に行ったことがあるかもしれないですね。
まぁ、春になったら、また、変なおじさんは、川崎駅近くのカプセルホテルに泊まったりして、割と朝早くが、鳥さんはよく鳴いてくれるので、その時間帯に、東高根森林公園にいることもありますね。
まぁ、東陽町の近くに住んでいますので、東西線ですぐ東京駅に行けます。
根性出せば、始発に乗れば、楽勝で、東高根森林公園に行けるかなぁ。
まぁ、長い人生、どこかでべッキーさんと会うことがあるかもしれないですね。
私が東高根森林公園にいるときに、同じ区内に、べッキーさんがいることもあるでしょう。
べッキーさんが、スカパーの番組の収録をしているときに、そこのすぐ近くに私は住んでいるもんですからね。
スカパーさんの最寄り駅は東陽町ですもんね。
まぁ、いつか会うことがあるかもしれないし、ないかもしれません。
ただ、私は、結構、普通のようで、普通でないところがありまして、割と、身元はバレておりますね。
とりあえず、ikuyan名では、表に出ていくつもりです。
阪神大震災のときに、NHKさんが、最初にディープな被災地に入ったのは、私がそこに行くからでありまして、生放送で関西には流れていたようですね。
ボランティア元年といわれ、これまで日本に存在しなかった、自発的ボランティア、ボランティア団体に所属しないボランティアというものが、生まれるきっかけになったのは、私が、割と絡んでいるかもしれません。
私は、NHKに、神戸に来ませんかと呼ばれて、行くことになりまして、NHKの谷町の放送局で休んでいるときに、ここに行くべと、当時、神戸の避難所で2番目に悲惨と言われたところに行くことにしました。
NHKのクローズアップ現代のクルーに呼ばれて行ったのですが、えらく面白そうだと、大阪の局は、中継車を出したのですね。
そんでもって、生中継してしまったのですね。
パソコン通信の時代でしたね。
まぁ、神戸の避難所では、どんどん、ボランティアの人に来て欲しい、それも、出来れば、パソコン通信の出来る人に来て欲しいと言われていましたね。
これは、もう、私の業績でしょうね。
ノートパソコンを持って神戸に行こう、とパソコン通信の掲示板に書き込みしたら、自分で行く羽目になってしまったんですね。
私が帰ってくる日は、日曜日だったかな、それまで、2週間に入ったのべ人数より多い人が、1日に、窓口に入ったらしいです。
その数は、数万人規模ですね。
窓口は、ここだ、みんな、行け、という感じで書いたら、非難轟々でしたね。
窓口はパンクしました。
とりあえず、避難所のありかは、先人の業績で出来ていたので、それを教わって、みんな、まだ見ぬ旅に出ましたね。
そういう、ロードムービー的な、めちゃくちゃさが、神戸のボランティアのいいところでしたね。
まさに、窓口が、機能停止していたために、みんな、自発的に行動するしかないというポジションにつかざるを得なくなりましたからね。
後にも、先にも、日本の歴史でそれ1回切りの出来事は、偶然にも、私が絡んでいましたね。
あとで、ニュースステーションの取材で、ビデオジャーナリストの神保さんが、うちに来ましたね。
1時間くらい撮影していましたね。
ニュースステーションも出たかなぁ。
一番嬉しかったのは、避難所には、京都新聞の記者さんもいました。
面白すぎるので、避難所に泊まっていきましたね。
神戸新聞社が壊滅的な状態になったので、神戸新聞の仕事は、京都新聞社がやっていたのですね。
神戸入りした日に、その記者さんが、明日の原稿と、見せてくれた、最後は、今日、神戸に天使が舞い降りた、とありましたね。
そんな日もあったなぁ。
まぁ、今は、ハイレゾ自然音に夢中でありますけどね。
うちの家系は、おかしいらしく、うちの父方の祖母は、新潟のお寺さんの娘です。
祖母の姉の息子さん、うちの親父さんの従兄弟は、お医者さんでした。
生まれて、このかた、予習も復習もしたことがないんだそうです。
東大医学部の内科の教授に、わしの娘と結婚しないかと言われて、私には好きな人がいますと、大学時代に下宿していたお家の娘さんと結婚してしまいました。
これでは、東大に残れるわけもなく、割と長くいたのは、築地の国立がんセンターの内科の医長さんをしていました。
あとは、放射線科の医長をしていましたので、日本の内視鏡で、がんをパクッと、切ってしまうのだとか、オリンパスの内視鏡が、世界をリードしてきたのは、小黒さんだったかなぁ、1回だけ、祖母の葬式に、お姉さんの代理で来ていたので、お会いしましたね。
生まれてこのかた、予習も復習もしたことがない話は、そのときに聞きましたね。
怠け者の私も、試験前にならないと全く勉強しないですから、似てるなぁと親近感を覚えましたね。
怠け者の仲間だわ。
でも、それは、恐ろしく、変な話のようですね。
それが当たり前の人は、ほとんどいないですからね。
まぁ、うちの婆さんは、17歳くらいで早逝した弟さんがいて、私は、その人の生まれ変わりだとか言っていたようです。
まぁ、お姉さんの息子さんが、内視鏡のパイオニアでありますから、婆さんの孫は、ハイレゾ自然音のパイオニアになるかなぁ。
うちの家系は変わってるからなぁ。
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