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2018年01月07日23:13

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人は常に試される

■経済評論家の三橋貴明容疑者を逮捕 妻殴るなどした疑い
(朝日新聞デジタル - 01月07日 17:44)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4933933

以前、ネットの小説で「人は常に試されている」と言う言葉を見たことがある。
私は無神論者だし、運命や宿命と言うのにも疎い。
ただ、色々な人生経験(まだ、三十路後半ですけど)で『絶好調な時こそ最悪のことを考え行動する』という信念と言うか、強迫観念と言うか、トラウマがある。
他者の地雷を踏みやすいのだ。
それで何度も怒られたし、嫌な思いをたくさんしてきた。
昨日まで仲よく遊んでいたクラスメイトが突然、無視をしたり、虐めたりした経験が何度もある。
だから、私は群れることを嫌うようになった。
(まあ、今はだいぶ緩和されたけど未だ集団や団体が苦手)
人は神ではない。
完璧な人間などというのはいない。
同時に人生には下り調子もあれば上がり調子の時もある。(これを宮本武蔵は『波』と呼んだ)
体力面や精神面、周りの環境や人間関係などだ。
私は三橋氏が犯した犯罪を弁護するつもりも、過度に批難するつもりもない。
犯罪を犯したのであれば如何様な理由があれ、罰は受けるべきだ。
しかし、彼が経済評論などを一概に破棄することはどうだろう?

もしも、彼の業績(?)まで否定するのであれば、テレビで偉そうに「武勇伝」や「指導」と称して暴力や不遜な態度を取るタレントやスポーツ関係者は二度と表を歩けなくなる。
いや、我々だって一度も(法に触れる触れないにかかわらず)間違いや確固たる事実、知識もないのに他者を批判したり暴言を吐いたりしたことがない人なんていない。
(世の中に入るかもしれないけど)

人は絶好調な時ほど集まってもてはやすが、少しでも都合が悪くなれば容赦なく捨てる。
特に芸能界はその傾向が強い。
そこから復活出来て活躍しているタレントや俳優もいるにはいるがごく少数だったりする。

かつて、日本には「お天道様が見ている」という言葉があった。
仏教では自分を絶対することを嫌う。
科学や利益主義(こんな言葉ないけど)になった日本では無力になった。
でも、人が人である限り、驕りや高ぶりもあるし、間違いを犯すこともある。
時には、それは犯罪になり刑罰を受けなければならない。
問題は、その後のことだ。
これは貧困問題などに通じるが、一度、『落ちると戻るのは難しい』ということ。
最悪の場合だが、自殺や他殺ないしは、ほかの犯罪に手を染めて本当の悪人になる。

もちろん、本人の反省なども十二分に加味されなければならないが、同時に何処かで復活させる機会があってもいいと思う。
寛容のない世界は経済的にも精神的にも人々から生きる気力を奪う。
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