1月3日
無力
私たちはアルコールに対して無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。
12のステップと12の伝統 29ページ
第1ステップで無力について述べているのは、単なる偶然ではない。というのは、アルコールに対して自分が無力だと認めるのは、回復の基礎作りのための土台だからだ。私にはコントロールする力があると思っていたが、実はなかったことを学んだ。私には他人の私に対する考えをコントロールする力もない。ほんの一歩の差でバスに乗り遅れたことにも無力だ。他の仲間がステップをどう使っているか、あるいは使っていないかに対しても、無力だ。
しかし、無力でないものがあることも学んだ。自分が取る態度には無力ではない。消極性に対しても無力ではない。自分の回復の責任を負うことにも無力ではない。
自分自身に対して、最愛の人たちに対して、そしてこの世の中に対して、積極的に働きかけてゆく力が私にはある。
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「今日を新たに」 2004年5月31日 翻訳改訂版発行
AA日本ゼネラルサービスオフィス(JSO)発行
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1月3日
AAに参加して、私はアルコホーリクとはどういうことかを学んだ。そして、自分がアルコホーリクかどうかを判断するために、その知識に自分を当てはめてみた。私がアルコホーリクであることを納得したとき、私はそのことを率直に認めた。それ以来、受け入れた事実に従って生きているだろうか? アルコホーリクス・アノニマス(ビッグブック)を読んだだろうか? 心の底から明らかにアルコホーリクであることを認めているだろうか?
私がアルコホーリクであることを認めることが他の人にとって助けになるとき、私は自分を明らかにする準備ができているか?
黙想
私は新しくなるのだ。私はつくり変えられるのだ。そのために、私は神を必要とする。神の息吹は、私の体内を吹き抜ける。私の痛々しい過去をすべて拭い去ってくださる。私は生き返るのだ。歩む道がはっきりと見えてくる。神が私に望まれる道を歩み続ける限り、今日訪れる一日は、何か良いものをもたらしてくれるだろう。
祈り
率直な、幼い子供が神に学ぶように学ぶことができますように。神の計らいに「どうして?」と尋ねるのではなく、子供のように喜んで受け入れることができますように。
ホームカミング社 「一日二十四時間」より
※私の独り言※ 私たちが以前の生き方をしていたときの振る舞い方を言い表すのに「神のように振る舞ってきた」と表現する人もいます。まさか自分が神と思っていたわけではありませんが、(ほとんど)すべてのことを自分で決定する権限があるかのように振る舞っていたのは確かです。それが、ことアルコールに関してはまったくどうしようもなく、影響力もなかったことに気づいたとき、それが無力と呼ぶものでした。
一杯飲み始めたら限度がなかったし、その一杯を飲まないでいるという選択さえもできなかったのが私たちでした。そこを手始めとして、自分にはどうしようもないことが世の中には転がっていることに気づき始めたのです。そうして言われたのです。「自分自身を変えようとすることだけはできるよね。それについては無力ではないよね」と。そう、私は自分の考え方や感じ方を変えていくことは可能でした。無力なら生きている意味はないと思い込んでいたこの人生も、再びまた生きていくだけの価値を取り戻してきたのです。
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山口、AA宇部グループ Mike(マイク)
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