中山道ウォーク後、軽井沢で日暮れまで何とか回れるだけ洋館巡りをしました。
全く前調べもしないで観光案内所へ行けばガイドかパンフレットがあるんじゃないの〜と軽く考えて行ったのが間違いで、観光案内所がすでに閉まってて(;´Д`)
スマホでググれるだけ調べて行き当たりばったりで回りました(笑)
碓氷峠を控え、また碓氷峠を越えて着く宿場町として大いに賑わった軽井沢宿は明治17年に碓氷新道が開かれ、9年後には信越本線が開通。
主要道路から外れた軽井沢は宿場町としての機能を失い一気に衰退しました。
そこで現れたのが英国聖公会宣教師アレクサンダー・クロフト・ショー
明治21年、ショー氏が軽井沢に別荘を建てて避暑地として紹介したのを機に、現在の軽井沢に至ります。
そんな軽井沢の恩人、ショー氏が明治28年に建てた軽井沢の教会第1号が【軽井沢ショー記念礼拝堂】
【日本基督教団軽井沢教会・旧軽井沢基督合同教会】
旧軽銀座にある1929年(昭和4年)ヴォーリズ設計の教会
【軽井沢集会堂】
三越社長ら日本人有志によって建設された、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ建築の集会堂。
講演会とか、音楽会とか、映画会とか、展覧会とかの催し物が行われてた昔の軽井沢の文化ホールな役割をしてたそう。
大正11年建設なので、当時が偲ばれますね
【軽井沢ユニオンチャーチ【
明治30年(1897年)軽井沢合同基督教会として設立されたユニオンチャーチ。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計。
軽井沢はヴォーリズの建築物が多く残ってます。
【軽井沢会テニスコート】
皇太子時代の天皇陛下皇后陛下の恋の舞台。
今も夏になると皇室の方々がテニスに来られるテニスコートのクラブハウスは1930年に建てられたヴォーリズ設計の近代建築です。
ちなみに、以前妻籠宿へ行った時に泊まった宿”つたむらや”が秋篠宮親王と川島紀子様がまだご結婚される前に、学生時代にお泊りになった宿だと言う事を大分後になって知って驚いたことがあります(笑)
ここまででした!
日が暮れて、街灯のない真っ暗な森の中を傘をさして寒さに震えながら歩くのは結構辛いものがありました(笑)
次回の中山道歩き、軽井沢から出発の時にゆっくり時間とってしっかり調ておいて回れなかった近代建築洋館を回りたいと思います。
ログインしてコメントを確認・投稿する