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2017年12月28日00:20

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「君たちは小学生かい?」

■サイゼリヤ大量食べ残しで炎上したYouTuberが初激白「嫌われてもいいと思っていた」
(AERA dot. - 12月27日 11:32)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=4921900

「嫌われる勇気」(https://www.amazon.co.jp/嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え-岸見-一郎/dp/4478025819/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1514385388&sr=8-1&keywords=%E5%AB%8C%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E5%8B%87%E6%B0%97)という本がある。
私なりに書けば「人のためにならば他者から嫌われようともやるべきである」

まあ、この本の元になったアドラー心理学は色々な学者が色々な意見を持っているので一概に賛否は言えないが、ただ、今も昔も「若者の承認欲求」は果てがない。
ユーチューバーに限った話ではない。
例えば尾崎豊の「十五の夜」なんて堂々と「夜の校舎窓ガラスを割った」なんて出てくる。
多少の差はあるが、そこにあるのは『承認欲求』だ。
ただし、そこには常に責任が付きまとう。
仏教でいう「因果応報」、錬金術なら「等価交換」というものだ。

「私の文章が固い」と言われることがある。
実際は、結構バカなことも度々書いているのだが、総じてみれば私は『固い』だろう。
私は別に高尚な人間ではない。
ただ、自分の意見を自分の感情のままに書いたものが相手が受け入れるとは思えないのだ。
特にネットの場合は誤解や偏見を持たれやすい。

こんな例えをしてみよう。
あなたは殺し屋である人物を殺すように依頼された。
首尾よく標的に近づくことができたが周囲の守備は完璧だ。
そこで毒殺を考える。
では、どうやって相手に毒を飲ませるか?
毒々しい薬をそのままグラスに入れて
「これは毒です。はいどうぞ」
と馬鹿正直に言うか?
それとも
「お仕事お疲れ様です」
などとジュースなどに忍ばせて少しずつ飲ませるか?
たぶん、後者の意見の人は多いだろう。

毒を意見に置き換える。
人の意見は相手にとってつらい場合がある。
中には言葉遣いだけで拒否反応を示す人もいるだろう。
(まあ、逆に言えば私の言葉遣いで拒否反応する人もいるんだろうなぁ)
ただ、固い文章は確固たる自信と文章に対する信頼があって初めて成り立つものであり、私からすれば人(読者や相手)をバカにしたような文章などをみると「この人はそんな自分に自信を持っていないのか?」と思うことがある。
(私も他人様に言えるほど自身もないし偉くないけど)

本題に戻ろう。
『承認欲求をどうすれば満たせるか』
これは本当に古臭い言葉だけど、努力をして自分の技能を磨くしかない。
そのためには様々な経験や知識が必要になる。
そして、肝心なのはそれを『他人』に見せるのではなく『自分だけ』に見せつける。
また、例え話になるが、修行僧や高名な僧侶が「ほら、俺、一日中座禅して悟ったんだぜ!!凄いだろ!!」と自慢していたら逆に胡散臭い。
(でも、この手の宗教家って結構多いのよ)

今は便利な世の中である。
このことを私は否定しない。
ただ、その中で世の中には『自分』『その周囲』以外の『他者』に対して鈍感でいることが当たり前、下手をすればカッコいいと錯覚している人間がいる。
逆の見方をすれば『他者』からすれば『自分』という存在はどうでいい存在なのだ。
これは悲しいことだ。
だから、私は物事に対する思いを文章という形で残そうとした。
そして、その言葉が誰か心に置かれ、何かあったときに思い出してくれれば嬉しい。

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