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2017年12月27日14:13

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障害者をめぐる歴史を考える

娘凍死、部屋には監視カメラ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4920741

くどいほど書いていますが私は『発達障害者』です。
発達障害は前頭葉、ちょうど、額にある脳の機能が欠落、または、機能障害に陥っていることに起因します。
ものすごく大雑把に書くと『脳の機能障害』です。
私の場合、文章を書くことや単純作業は苦ではないのですが計算や複雑な手順のものは苦手です。

このように『発達障害』が世に認められてからまだ日が浅いのが現状です。
それまでは単なる癇癪持ちとかヒステリーなどと言われて「本人の努力不足」「親の教育が悪い」などとされていました。
また、社会も一定の基準を設けて適合しないものを排除する風潮になっているのも私から見た現実です。

さて、今回は、私のような精神障碍者がたどった歴史を振り返ってみましょう。

1・精神分野がまだ未開拓だった時代において、発達障害者はよほどのことがない限り社会に受け入れられていました。
いわゆる職人と言われる人たちやシャーマンなどと呼ばれる人たちです。
(まあ、それでも差別はあったんだけど)

2・時代は下り明治時代。富国強兵を推し進める日本政府にとって障害者は役立たずの烙印を押されます。
また、どう対処していいのか研究されずにいたので『家で世話しろ』と言われ『優生保護法』により堕胎などが合法として扱われていました。(座敷牢などで監禁)

3・敗戦後、GHQは精神病などに関して憲法で保護すべきと明記させ精神病も『病院で見るべき』とさせました。(今ここ)

さて、これは地域差にもよりますが確かに精神病などに対して差別を持っている地域や団体は多いです。
そういう人たちは2の考え方なのです。
つまり、「富国強兵(経済大国維持)のためには障害者は邪魔だから家で内々に処理をしろ」という。
また、その本人も「恥ずかしいもの、生まれてはいけないもの」として家族も内々で済まそうとします。

しかし、仮にも多様性や基本的人権が叫ばれている現在において、2の思想は決して相容れないものです。
ネットを調べれば安易に障害者に対して辛辣な言葉を投げる人もいます。
中には頷けることもあります。
ただ、多くの場合、自分たちの不遇やいら立ちを無責任に障害者に暴言をぶつけているのが実情のようです。
―税金の無駄
―殺したほうが社会のため
などなど。
そういう人たちはかなり完璧な人間なのでしょう。
社会保障も受けず、年金も受け取らず、自分が老人になって少しでも体の不具合が出たら即死を選ぶ尊き人なのだと思います。

精神障害で恐ろしいのは本人もそうですが、家族が正しい情報や知識を得ずに周囲の間違った知識や偏見で本人を追い詰める、最悪、殺してしまうことです。
(周囲、この場合テレビなどの含みますが、も悪意はありません。ゆえに面倒)
では、どうすればいいのでしょうか?
それは、これを読んでいるあなたが正しい知識と認識で周囲で同じように困っている障害者たちの橋渡しをしてほしいのです。
例えば、本屋やネットで障害のことを知ったり相手の相談に乗る、場合によっては行政や相談センターの橋渡しをする・・・・・・
何も医者のような専門知識を持てというのではなく、対等に接してほしいのです。

欠点のない人間というのはいないし、そういう人は人間味にかけています。
もっとも、それより『生産性』とかいうのならロボットを相手にしていたらいいと思うけど。
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