母親の入院は約5週間だが、ボクはほぼ毎日通い続けた。その帰り道の時に、なぜだか頭の中で鳴り続けていた曲が2曲ある。どうして、その2曲が脳裏に浮かんできたのかはわからないが、歩いているとその曲が浮かんできた。
XTC 「Snowman」(1982年)
RIDE 「1000 Miles」(1994年)
5週間の最初のうちは、前者が鳴っていたが、徐々に後者の割合が高くなり、5週目あたりからは後者しか鳴っていない。今も鳴っている。なので、以下は後者の話。
https://www.youtube.com/watch?v=TkQFi9H7l0E
ボクが母親の死を意識するのは、最後の1日だから、死の意識からこの曲が脳裏に浮かんだわけではないと思う。当時のボクは、サビの最後に出てくる「Why's life so unkind?」という一節が、自分の心情に合うように感じていた。人生は不親切(冷たい)だと。
ところが、母親の死後は、曲後半の大サビで繰り返される「Blown away」(吹き飛ばされる)というリフレインが、天国をイメージしているように感じられて驚いている。ひょっとしたら、この5週間の間に、自分は無意識に母親の死を意識するようになっていたのかもしれない、と。
さらに驚いたのは、数日前に、この曲について検索したら、作者のマーク・ガードナーが、この曲について以下のように語っている動画を発見したこと。
「この曲のテーマは、近くにいてほしい人が近くにいない」
たしかに歌詞をチェックすると、死別した人のことを歌っているようにも思える。深夜に写真を見ながら、その人物に語りかけていて、今も一緒に歩いていると感じる――などと歌っているのだから。そして、1000マイルも離れたところに吹き飛ばされた、と。
う〜ん、これは単なる偶然なのか。
ちなみに母親の死後は、バーブラ・ストライザンド&バリー・ギブの「別離」(1980年)という曲も、よく脳裏に浮かんでいるが、さすがにこっちには驚かない。別れの曲なんていくらでもあるのだし、死後であれば、それらの曲が浮かんでくるのは不思議ではない。
しかし、母親の病室が「富士山の見える部屋」だったという話もそうだが、単なる偶然とは思えないようなことが他にも多い。
ボク自身が、物語を過剰に求めているから、不思議な偶然と思えるだけなのかもしれないが、とにかく不思議だ。もちろん、ボクとしては、こんな陳腐な物語より、平凡な日常を続けていたかったのだが。
P.S.
こういう精神状態の時は、音楽は重要ですね。
4〜5日前に、そのことに気づいてからは、なるべく音楽を聴くようにしています。
ログインしてコメントを確認・投稿する