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2017年12月24日18:03

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安愚楽のクリスマスパーティー

12/23(土)は従前より予定されていた、安愚楽牧場の被害者のクリスマスパーティー。家にいる時間が多くなるのは精神的によくないと考え、告別式の日の朝に参加メールを送った。

参加者は10人くらいで、ボクの事情は全員知ってるので、どうしても自分の話が多くなる。それに関連して、身内を亡くした時の話が話題になりがち。自分よりも高齢者が多いだけに、親や夫を亡くした人の話は興味深い。女性陣の間で一致した意見が、「こういうことには女性のほうが強いし、立ち直るのも早い。夫の遺品はバンバン捨てた」など。ボクを励ますために、誇張して言ってくれたのかもしれないが、でもまあ、そうかもしれない。

「今は、家中の何も見ても母親を思い出す。自分の箸が折れたので捨てようとしたが、母親の箸と同一柄・色違いなのに気がついて、捨てられなくなった」などと話したら、「今は仕方ない。そのうち捨てられるようになる」とのこと。

母親が「朝起きたら死んでいるのがいい」と言っていた話をしたら、同意する人が多数いた。理由は、以前の日記に書いたことと同じだが、「眠るように苦しまずに死ぬのがいい」ということらしい。「別に自分の枕元にいなくても、同じ屋根の下の家族がいれば、それで十分」と言っていた人もいた。80歳を過ぎれば、どんな人でも死が近いことを意識するとのこと。

すでに両親を亡くしている女性は、「自分は孤独死が一番いいと思っている。孤独死が不幸だとは思わない」と言っていた。この話は以前にも、この女性から聞いたことがあるが、今聞くとズシンとくるものがある。肉親や家族の死は、誰もが経験することだし、そうした経験を積み重ねることで、自分の死というものをイメージしていくのだろう。そこにあるのは主観的な死生観であって、他人がどう思うかはあまり関係ない。もちろん、イメージ通りに死ねるかどうかは、別問題なのであるが。

この女性は、若いころに父親を突然死で亡くして、当時はかなりのショックだったという。また、一時期、死んだ母親が目に見えたことがあって(他の人には見えない)、病気かと思ったことがあるとのこと。ボクは「そんなことがあるなら、ボクにもぜひ起こってほしい」と答えた。「人生に起こることは全部修行であり、人生の最後にブラスマイナスゼロになる」なんて話もしてくれた。

三ノ輪に住んでいる80代の男性は、「20代のころに親友を亡くして辛い思いをしたので、それ以降は親友を作らないようにしている。今、目の前にいる人、近所にいる人と楽しく生きる。これが私の生き方」と言っていた。たしかに、80代にもなると同世代の人と交流するのは難しいから、目の前の人が大事になる。

自分の母親が、富士山の見える部屋に住んでみたいと言っていて、人生最後の数週間が、富士山がよく見える病室だった、という話をしたら、「意識がなくても、きっとわかっていたはず」と言ってくれた人がいた。これに限らず、人間の死にまつわる話になると、どうしても神秘的な方向に話が行く。「そういうもんですかね〜」と答えておいたが、正直なところ、わからないとしか言いようがない。

一つだけわかるのは、人間が死と向き合うためには物語が必要だということ。マルクスは「宗教は阿片だ」と書いたが、彼が言いたかったのは、阿片を必要とするような現実があるということであり、安易な宗教批判ではない。

もう一つわかっているのは、うちの母親は、神秘的な話をあまり信じていなかったと思われること。人間は死ねば無になるのであり、死後の世界などは多分ない、という風に考えていたと思える。もちろん、「もしあるなら」くらいの気持ちはあったと思うが。
そういえば以前、母親は、学校の部活で聖書研究会に入っていたと言っていたことがあった。ボク自身は生まれてこのかた、母親からキリスト教的な臭いを感じたことが一度もないが、人間誰しも、若いころにはいろいろあるということか。

短期間に両親と祖母の3人を亡くしたという人もいて、「言っちゃ悪いが、それだけ続くと、ちょっと慣れてくる」と言っていた。至言だと思う。ボクにしたって、今の心理状態が永久に続くとは考えていないし、基本的にはどこかに着地する。ただ、今は今の心理状態に見合ったことをやっていこうと思っているだけ。急いで着地しようとは思っていない。「あなたがちゃんと生きていくことが一番の供養だ」言ってくれる人は、この1週間に何人もいたが、時間がかかってもいいから、ちゃんとした場所に着地したいと思っている。

会の最後に会費を払おうとしたら、「今日は“励ます会”にするということで、全員の同意が取れているので、払わなくてもいい」と言われた。なので、「香典返しはないですけど、母の仏前に伝えておきます」と答えておいた。自分を案じてくれる人がいるというのは幸せなこと。と同時に、母親もそのことを喜んでくれるような気がした。

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