ロスジェネ世代における「努力」とは!? 「時代や社会のせいにするのは当たり前」vs「そもそもの努力が足りない」
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「 ロスジェネ世代って、まさに個人の努力や才能だけではどうにもならないマクロの社会状況で人生台無しにされてるんだから、そりゃ時代や社会のせいにするのは当たり前の話だし、努力してもどうにもならなかったら人間そういつまでも努力し続けられるもんじゃないよ。 」
景気が良すぎて赤ん坊から年寄りまで浮かれていられた時代にはこの人が言う、人生台無し、という状態の人は少なかったのかもしれない。いわゆる、成功や勝利、に見えるものはそこいら中に転がっていたのだろうから。
色々な価値観がそれぞれの人間にはそれぞれ宿ってそれぞれ暮らしていると思うけれども、生き物として晴れ晴れとした状態で暮らしているかいないか、そこが努力の目指すところだろうと自分は思いながら暮らしている。そして、なかなか日々晴れ晴れとして暮らすことも難しいのが現実ではないのだろうかとも感じながら。結局、怠けている間は報われないのだろうとうすうす気がついてもいる。だから、泳いでいないと沈んでしまうマグロじゃないけれど、人間は努力していないと沈んでしまうものなんじゃないのかとそんなことを思うのである。
そういう意味で言うなら、この人が努力をやめたときはこの人が沈むときなんだろうと、そんなことも思ってしまう。
景気が良すぎた時代にだってどのぐらいの人が晴れ晴れとした状態で暮らしていたのかを考えれば、人生が報われているように見えることが、そのまま、生き物としても晴れ晴れとした状態で暮らせているのかどうなのかは怪しいものなのではないかということは思う。
時代はちょっと違うだけでころころと変わる、人も時代につれて数十年に亘って波に乗るように一つの人生を送る。いい波が無い時も人は生きて行かなければならず、そんな時代にはそんな時代なりの、努力、で晴れ晴れとして生きることを目指して生きなければならないんだろうと思う。
いずれにしても、努力、無くして人生は成り立たないとは思う。
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